「豆腐屋!そこどけよ」の罵声をきっかけに株式公開を目指す / (株)篠崎屋

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

022かつて豆腐といえば、近所の豆腐屋で買うものだった。朝、豆腐を買いにいって、その豆腐が入った味噌汁を飲 む。こんな光景もライフスタイルの変化とともに消滅し、豆腐はスーパーで買う商品になった。しかし、販売ルートをスーパーなどの大型小売店に依拠すること によって、豆腐屋は完全に主導権を奪われ、ほぼ永遠にコスト削減を強いられる存在になった。しかし、抜け出そうにも抜け出せない。多くの企業は、結局、大 型小売店の言いなりになって疲弊していくのだが、敢然と戦って新たなビジネスモデルを開発した勇者もいる。

「おいっ、豆腐屋!そこどけよ」

スーパーに商品を納入しに行ったとき、背中越しに怒鳴り声が聞こえてきた。大学卒業後、家業の豆腐店で働き始めた樽見茂さんが、自分より年下のスーパーの社員から最初に浴びせられた言葉だ。

「ショッ クでした。なぜ豆腐屋がここまで蔑まれなければならないのかと。自分がここまで育ててもらったのは家業の豆腐のおかげ。その家業が侮辱されることは絶対に 許せないと思いました。確かに自立できていない豆腐屋も多い。それならば、自ら豆腐屋で公開企業を作ってやろう、そして豆腐業界をメジャーにしてやろうと 誓ったんです。言葉は格好いいですが、ま、スタートは恨み節です(笑)」

その後も樽見さんは、スーパーとの取引の理不尽さを身をもって知 らされる。生産能力を上げるために自社工場を新設すると、「豆腐屋が自社工場なんて生意気だ」と一蹴され、新規納入の割り当てを凍結されてしまった。その 結果、設備投資どころか一転して倒産の危機に見舞われる。そのほかにも、リベートの要求や価格の引き下げ、高額資材の指定など要求はエスカレートするばか り。スーパーに身を寄せている限り製造卸業に未来はないと痛感した。

「そこで、もう一度原点に返ってみようと思ったんです。昔ながらの大 豆と天然のにがりだけで本当においしい豆腐を作ってみようと。当時の絹ごし豆腐はGDLという薬品を使用したいわばまがいもの。本物の豆腐とはいえませ ん。工場にこもって試行錯誤を繰り返しました。試作品を作っては捨てて、果ては父親から包丁が飛んできました(笑)」

9ヵ月後、タンパク質の多い佐賀産の大豆と沖縄の天然にがりを使った本物の絹ごし豆腐を開発。発売後、すぐさま大評判となり豆腐メーカーからはOEM生産の依頼が殺到した。1丁300円もするブランド豆腐は、試しに置いた無人店舗でも1日10万円の売り上げを記録した。

「これで立地は最悪でも商品さえよければ売れることがわかった。あとはコスト削減すればやれる。製造小売業としての新たなビジネスモデルが見えてきたんです」

2000年、樽見さんはベンチャーキャピタルなどから2億5000万円の投資を得る。そして売り上げの8割を占めていたスーパーとの取引をすべて清算した。「おいっ、豆腐屋!」の罵声から15年が経っていた。

樽 見さんは、豆腐の製造小売り、豆腐料理の外食チェーン、フランチャイズ運営という新しいビジネスモデルを開発。2000年に豆腐料理店「三代目茂蔵」の直 営 1号店を越谷市に開店。その後も積極店に店舗を広げている。
豆腐料理の業態も「TOFU BAR」や「Sigezo CAFEb」など5タイプに及んでいる。

2003年11月28日に株式公開という目標を達成した。
樽見さんは言う。

「これからも多くのハードルが待ち受けているでしょうが、本物の豆腐を武器に世界戦に乗り出したい。いまは燃えに燃えています」

 

【樽見 茂氏プロフィール】

東京都生まれ。85年に明星大学人文学部卒業後、家業の豆腐店を手伝うとともに新たな業態開発をめざして、豆腐の製造販売会社 「篠崎屋食品」を設立する。88年に春日部に自社工場を開設するも、スーパーの反発を買って倒産の危機に見舞われる。89年に天然にがり使用の絹ごし豆腐 を開発。人気商品となり2000年にスーパーから完全撤退。同年、豆腐料理店「三代目茂蔵」 1号店を出店、本格的なチェーン展開に乗り出す。2003年11月28日には東証マザーズに株式上場を果たす。

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