金沢箔美術工芸品、建材インテリアの製造・加工・販売 / (株)箔一

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

​​浅野邦子さん

浅野邦子 kuniko Asano

(株)箔一/代表取締役社長/石川県金沢市

事業内容: 金沢箔美術工芸品、特殊箔押金彩加工、
各種金銀特殊箔、料理用超高純度金箔、
あぶらとり紙、装飾、建材インテリアの製造・加工・販売
プロフィール: 1946年、京都府生まれ。京都市内の金属箔粉の企業に勤務後、結婚。
専業主婦を経て、金沢箔工芸品の製作と販売を単身で始める。
77年9月、箔一を設立。86年に初の直営店、89年に本社および
オンライン工場を建設。97年頃からあぶらとり紙が大ブレイク。
同年8月に新社屋と金沢箔工芸品を紹介する「箔巧館」をオープン   
趣味:  旅行
好きな言葉: 「挑戦/情熱」
連絡先:  http://www.hakuichi.co.jp/

 

「喜・楽」
夢 中で走ってきた30年。その時々で喜びや楽しみがありましたが、やはり、古くから材料として脇役だった金沢の伝統産業の「箔」を、金沢箔のオリジナル工芸 品というブランドとして確立し、それを発信していく夢が実現したことが大きかったと思います。77年に東京・玉川高島屋での物産展に出店したのをきっかけ に取引先が増えていったこと、86年に金沢の繁華街・香林坊に直営店第1号をオープンし卸業から脱皮したこと、97年に金箔打紙製法によるあぶらとり紙が 大ヒット、新社屋、東京・青山の直営店オープン、と転機はいろいろありました。今後は若い人に伝統技術の継承をしていく一方、ヨーロッパなど世界へ発信し ていきたいですね。

 

「怒・哀」
箔 屋が最終製品をつくって売るというのは、当時は金沢の業界に逆らった行為なんです。そのことで、本家と衝突してきたわけですが、あきらめなかったのは、本 家から放り出されたという悔しさがあったからです。「主人を社長にする」という一心で商売を始め、順調に利益が出始めた83年、主人を社長に据えたのです が、長い伝統のある本家で仕事をしてきた主人と箔一では経営のスピードが違っていて、売上げが落ちてしまったんですね。銀行から5億円の融資を受けて、一 貫生産工場を建てたところでもあったので、主人には経営を退いてもらいました。このときはかなり悩みましたが、その決断があったから、今があると思ってい ます。情報収集の時間がなかなかとれなくなってしまうのも、ひとりでやっていることのジレンマですね。時間のやりくりが一番難しいです。

 

「開業資金」  50万円 

山 中塗の商品を仕入れて売り始めた頃、準備したお金は50万円。会社員時代の貯金を資金に当てました。それが底をついたときに、初めて銀行にお金を借りに 行ったのですが、当時は「担保なんて取るんですか」と声を上げてしまったぐらい何も知らなかったのです。その後経理学校に通って決算書が読めるようにな り、経営計画書を描けるようになって、やっと融資を受けられるようになりました。株式会社にしたのは玉川高島屋の物産展に出店する時。出資を募って資金調 達しました。

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ここにあります。

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