次々と大人気レストランをつくりだす / グローバルダイニング

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

すでに20歳代で体得した事業の厳しさと成功の味

008早稲田大学を2年で中退し、スウェーデンを拠点としたヨーロッパ放浪の旅から帰国した長谷川は、早稲田に「北欧館」という喫茶店を開業する。73年のことだ。

「喫茶店くらいなら、僕でも何とかなるだろうと思ったんですよ」というのが、その理由。世の中そんな甘くない……と思いきや、本格的なコーヒーを出す、そのクオリティの高さとセンスの良さで大成功。長谷川自身、仕事が面白くて1日16時間は働いていたという。

「でも、ひとつ成功すると、僕は次の目標がどうしても必要になる。たまたま読んでいた本に『商売を伸ばすには最初の5年で3店舗』とあったので、じゃあそれでいこう、と。以後2年間は猛烈に働き、生活を切り詰め、毎月60万円くらい銀行に預金していました」

そして76年、六本木に2店舗目となるパブ『ゼスト』をオープン。この時、銀行から2000万円の融資を受けた。わずか2年で1300万円もの預金をした顧客に、銀行がノーと言うはずがない。

しかし、『ゼスト』は苦戦。そこで、自ら街頭でマッチを配り、営業時間を午前5時まで延長し、インテリアやメニューも改善、そんな地道な努力を続けて、ようやく繁盛し始めたのは1年半後だった。さらに、業態そのものを、パブからレストランへと変えていく。

「レストランに転換することで負荷はかかるけど、夜遅くまで食事ができるという点では差別化が図れるし、競争力もつくと判断しました」

78年には原宿にも『ゼスト』をオープン。これで、5年で3店舗という最初の目標をクリアしたことになる。

自ら困難な目標を設定して、その実現へのプロセスがつらければつらいほど、その達成感もはかりしれない。長谷川は、若くして、自分を追い込んだ後の“成功の蜜の味”を覚えたのである。

戦略の失敗、組織づくりの失敗から生まれた次なる展開

成功の後には、落とし穴もある。

「魔がさしたんだね。原宿にアンティークショップを開いちゃった。カッコいいとか、買い付けで外国へ行けるとか、そもそも動機が不純 (笑) 。案の定、客は来ない……戦略そのものの失敗ですよ」

ヒマを持て余したこの時期、長谷川は企業の就業規則や人事考課の勉強をする。しまいには、労務管理のプロと話をしても負けないくらいにまでに。

その後、アンティークショップは1年ほどで閉め、イタリア料理『ラ・ボエム』として再出発。そこで長谷川は、勉強し尽くした人事マニュアルを取り込む。

「ところが、売り上げは落ちる、人は辞めるで。結局、僕の知識は頭でっかちの普通の日本型システムだったんですね。現場の声が僕にまで届かない。そうなると、企業戦略がまるで通じなくなってしまって、そういう経験をしてからは、全部自分たちでやっていこうと決めたんです」

具体的には、実績を挙げた人間がちゃんと評価されるインセンティブ制度を考案、導入した。

「僕自身、普通の組織では暮らせない性格だから、僕みたいな人間がやる気を出して働けるような会社をつくりたかった。1年目には、初めてインセンティブを取る人間が出てきて、その時ですね、希望を見たのは。うちの会社、これでガーンと伸びるんじゃないか、と」

事実、長谷川のところにはいいシェフやスタッフが集まるようになり、組織力をつけていく。

そして、80年以降、次々と新しいスタイルのカジュアルレストランを開業。いわゆる繁華街ではなく、世田谷の三宿や代官山、西麻布といった閑静な地域にあえて出店し、自分たちの店を中心に「人が集まる街」をつくり出すことにも成功した。

徹底した実力主義で、いまだ快走を続ける

長谷川の手がけた店は、人が集まる街をつくり出しただけでなく、深夜に食事をする、お茶を楽しむという新しい生活スタイルも生み出した。長谷川の店が繁盛するのは、潜んでいた若者のニーズを顕在化させたこともあるが、もうひとつ、重要な側面がある。

人材だ。どの店のスタッフも実に生き生きしており、それが人を惹きつける。

こ れは、前述のとおり、頑張った者が正当に評価される、徹底した実力主義が背景にあるからだ。実績を挙げていれば、アルバイトからでも時間を待たずして店長 にもなれるし、30歳代前半で年収1000万円を超える人間もいるという。もちろん、逆もある。店長になっても業績を落とし続ければ、降格。

実力主義を徹底させるのに問題になるのは、その判定と、現場での納得感である。ここにも、長谷川独自の哲学がある。

「僕はね、商売の上手い下手って、駆けっこの速い遅いと同じだと思っている。商売の才能と、その人の人格の善し悪しなんて関係ない。対前年比で売り上げを上げたか、落としたか。それだけです」

従来型の多くの日本企業のように、上司の気持ちひとつで昇進や昇給に影響が出ることはない。数字がすべてだ。

「うちは完全な実力主義。異動・昇進・昇給は自己申告制。この承認については、僕を含むすべての役員と店長で会議を開いて、最終的には多数決で決めていくんです。僕の1票も、20歳代の若い店長の1票も同じ。完璧な民主主義ですね」

「フェアであること」。これが長谷川の口癖であり、信念でもある。そして、これがレストランをヒットさせ続ける経営戦略の強い支柱になっていることは、言うまでもない。

【長谷川 耕造氏 プロフィール】

神奈川県に生まれる。早稲田大学商学部を2年で中退、単身ヨーロッパに渡り各国を回る。
72年帰国、翌年に「長谷川実業」を設立。
高田馬場に喫茶店 「北欧館」をオープン、大繁盛店となる。
80年以降になってからは、三宿や代官山、西麻布といった閑静なエリアにカジュアルレストランを次々とオープンさ せ、成功。
97年に「グローバルダイニング」に社名変更、99年12月には東証2部上場を果たす。

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