第111回 株式会社リブセンス 村上太一 2

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採用成果報酬&採用決定者にはお祝い金を進呈。
市場に斬新かつ画期的な求人サイトを投下し急成長!

 求人広告の掲載費は無料、応募者が勤務を開始して初めて費用が発生。さらに、採用が決まった求職者にはお祝い金が贈呈される。採用できるかどうか分からない求人広告に多額の費用を支払っていた企業が喜び、また、今まで表に出てこなかった求人が出揃うことで、選択肢が増え求職者も喜ぶ。さらに、採用が決まった求職者にはお祝い金が贈呈される。そんな画期的なアルバイト求人サイト「ジョブセンス」を立ち上げ、急成長を続ける株式会社リブセンス。設立は2006年と、5年目を迎えたばかりのベンチャー企業で、創業社長の村上太一氏はなんとまだ23歳。早稲田大学在学中の1年時に、同社を学生起業した超若手アントレプレナーなのである。「生きる意味とは? これがリブセンスという社名になっているのですが、誰もが幸せになるために生きていることは間違いないと思うんです。結局、相手が幸せになることによって自分が幸せになれるような仕事をするのが一番。だから、リブセンスの企業理念は"幸せから生まれる幸せ"なのです」。今回はそんな村上氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<村上太一をつくったルーツ1>
振り回されるよりも、振り回すポジションが好き。
経営者だった両祖父に憧れ、社長を夢見た小学生

 父は建設会社に勤務するサラリーマンで、母は会計事務所を寿退社してからはずっと専業主婦。兄弟は、姉がふたり。そんな、いたって普通の家庭で育ちました。ただ、父方の祖父が中卒ながら上場企業の経営陣まで上り詰めた人で、母方の祖父も証券会社から脱サラで画廊を開いた経営者だったんです。そんな家庭に育った両親ですから、私が起業すると言った時もまったく反対しませんでした。祖父の家に遊びに行くと、すき焼きをする際、1枚1枚紙で包まれた高級な肉がテーブルに並ぶのに驚いたり(笑)、社用車が自宅まで祖父を迎えに来るシーンを眺めてかっこいいと思ったり。祖父から受けた影響も多少あるかもしれません。小さな頃から、将来は自分も社長なると決めていました。人から「やれ」と強制されたことはやりたくない性分でしたし、自分で考えたことで影響を与えられるリーダー的な立場というんでしょうか、そんなポジションが好きだった。だから常にクラスでも学級委員でしたね。振り回されるより、振り回す側になるほうが、自分には合っていると考えていました。

 なぜか、人と違うことをしないとダメだという思いがありました。学級新聞をつくる時も、他の班は教科書をコピペする程度だったのですが、私はいろんな編集を加えたりして、それを先生がほめてくれる。ああ、これでいいんだと。人と違うことをやって、何かしらの良い影響が生まれることに、昔から大きな喜びを感じていました。勉強ですか? まあ、できるほうでしたが、そればかりというわけでもありませんでした。サッカーや野球もやっていましたし、運動会ではいつもリレーの選手に選ばれていました。あと、小学4年までは、年中、Tシャツ、半ズボンで通っていたんですよ。お気に入りのTシャツと半ズボンを3枚そろえて、ローテーションさせながら。ある秋の日、母から「そろそろ衣替えしなさい」と言われて、「まだ暑いからいい」と断ったんです。その会話が2、3回続いて、母があきらめたんでしょうね。それからずっと続きました(笑)。

 小学生の時、祖父が「これからはパソコンがくる」と言い、両親に購入費をくれたんです。もらった以上は使わなければということで、家族で家電量販店に行って、モグラ叩きゲームが面白そうだという理由だけで、パソコンを選択。1995年当時は電話回線につないでインターネットにアクセスする時代でしたし、家の電話がつながらなくなると困るので、我が家では利用時間に規制がしかれていました。だから最初の頃は、ハンドスティックを使うパソコンゲームで遊んでいた程度です。インターネットにはまり始めたのは、知らない人と交流ができるチャットや掲示板の面白さを知ってからですね。2000年以前は今と違って、知らない人と交流することに対する抵抗が小さかったですし。私と同世代の人たちも同じようなきっかけでインターネットにはまった人、けっこう多いと思います。当社の取締役もそうでして、彼のキーボード操作は滅茶苦茶早いですから。

<村上太一をつくったルーツ2>
中学時代、食品会社に新しい事業アイデアを提案。
その結果は、残念ながらお礼メールが届いて終了

 1校に絞って中学受験をしましたが、不合格。実は、受験をするということに納得できないまま、両親から勧められて受験勉強をしたんです。人から「やれ」といわれたことにはやはり力が入りません。落ちたこと自体は悔しかったですが、気持ち的には晴れ晴れと、公立中学に入学しました。受験勉強して公立に進むと、すごく成績が良いんですよ。成績は常に3位以内をキープしていました。部活動は野球部に入部しました。父がソフトテニスの選手で、国体にも出場していたこともあって、本当はテニスがやりたかったのですが、なかったので。でも、顧問の先生が尊敬できる方でして。毎日、素振りすることの大切さとか。日々の努力の積み重ねがいつか必ず成果につながることを、丁寧に教えてくれました。私のポジションは5番のレフト。キャプテンの座は、キャッチャーで4番を打つ同級生に持っていかれましたが、区の大会では常に上位と、まずまずの成績を残すことができました。

 そういえば、私は中学までいっさい本を読まない子だったんです。母がかなりの読書好きで、毎晩、お酒を飲みながら本を読む習慣を持っていました。小学生の頃、そんな母から「あなたも本を読みなさい」と言われて反発したことが原因です(笑)。今思えば、もっと小説とか読んでおけば良かったと少し後悔しています。読書感想文を書く課題があるじゃないですか。原作の本を読まず、映画化されたスティーブン・キングの「グリーンマイル」を観て、感想文を提出していたくらいです。で、その感想文が校内で1番になって、表彰されたり(笑)。あと、「プロジェククトX」のようなビジネス系番組を見ては感動していました。自分もいつか、あんな感動的な仕事をしてみたいと。

 いつもいろんな事業アイデアを考えていました。"豚骨チャーハン"の素をつくったら売れるんじゃないかと思いつき、食品会社にメールで提案したこともあります。その会社に呼ばれ、試食会で意見を述べている自分をイメージしながら。結局、「ご提案をありがとうございました」という丁寧な返信メールをいただいて終わりましたけど。ネット好きなら、絶対に一度はプログラマーに憧れると思うんです。私も中学でJAVAに挑戦してみましたが、挫折……。プログラミングをマスターするためには、1冊目の教則本が大事だと思うんですが、その選択に失敗した気がします。私が手にしたのは「ピエロを動かしてみましょう」とか、内容がまったく面白くない。それ以降は、プログラミングよりも様々なサービスを使ったり、面白いサービスを考えたりする方向にシフトしていきます。

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