第71回 株式会社ノンストレス 坂野尚子 2

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ネイル、ダイエットで日本人のストレスを解消したい!
欲張りだから、育児も起業もやり遂げたかったんです

 “女性が憧れる職業を答えなさい”。この質問の答えとして、多くの人が「女子アナウンサー」を挙げるのではないだろうか。そんな花形職業、フジテレビの女子アナのポジションを自ら捨て、起業家としての転身を図ったのが、株式会社ノンストレスの経営者・坂野尚子さんである。特派員として2年暮らしたューヨー クで、人生選択の自由さを実感した坂野さんは、まずはMBAの取得を決意し、惜しまれながらフジテレビを退職。「欲張りだから、育児も起業もやり遂げたかったんです」と笑う坂野さん。その言葉どおり、MBA取得し、結婚、出産を経た後、人材ビジネスで最初の起業。そして、自らの感動体験を盛り込んだ、ストレス・マネジメント・ビジネスで第二の起業。確かに、人生をどこまでも満喫するために疾走を続ける、ある意味とても欲張りな女性といえよう。今回は、そんな坂野さんに、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<坂野尚子をつくったルーツ.1>
絵に描いたような優等生だった女の子。中高の女子校時代は放送部に所属する

 私が産声を上げたのは、広尾の日赤病院ですが、育ちは横浜の白楽です。大学時代に1年と3カ月一人暮らしをした期間以外は、25歳までずっと白楽住まいでした。私が生まれた頃の日本は、まさに高度成長期真っ只中。父は当時では珍しく、ヘッドハントされながら転職を重ね、住友造船から始まって、森永製菓・乳業、西武、ダイエーと、基本的にはフードビジネス業界で働く企業戦士でしたね。ダイエーの常務を最後に50歳で飲食ビジネスのコンサルタントとして独立して事務所を開設し、今も元気にやっています。もともと起業家的なマネジメント志向を持っていたのだと思います。そして母は、私と2歳下の妹を合わせた4人の家庭を守る専業主婦でした。母にはとても厳しく育てられました。

 厳しい母に育てられた小学生時代の私は、もう絵に描いたような優等生(笑)。勉強も、着る物も、髪型でさえも、非常にうるさくしつけられたんです。ホント、教育ママですよ。何でも一番になるのが当たり前。それを真に受けて頑張ったので、テストの成績はほとんどトップクラスでした。でも、今振り返って当時の自分のことを考えると、面白みのない子どもだったと思いますよ。井の中の蛙だったんですね。受験した第一志望の私立中学には蹴られてしまい、合格したのは国立大学の付属中学と東洋英和女学院の中等部。

 結局、おしゃれな女の子たちと一緒に、セーラー服を着て六本木の校舎で学ぶという、東洋英和に進学することに決めました。白楽から六本木までの通学はかなり大変でしたけど。ほら、私は背が低いでしょう。通学の満員電車では大人に囲まれて息もできないような状態でしたから。でもとても楽しい毎日で、中学時代はあまり勉強をした記憶がなく、自由を満喫することができました。ちなみに中高では5年間、放送部に在籍しています。なぜ放送部なのか? それは小学生の時、好きだった男の子が放送委員だったから(笑)。きっかけはそんなたわいもないものでしたが、この放送部の活動で、たくさんの先輩後輩、友人ができました。

<坂野尚子をつくったルーツ.2>
中途半端な人生を送っている自分を、ハタチを転機に変えるべく行動を起こす

 両親からは、「大学はアメリカに行くといい」と提案されていたのですが、当時の私にそんな気はなく。国内の大学に進学して、弁護士になるか、臨床心 理士になりたいと思っていたんです。一番行きたかったのは国立の一橋大学。私立なら、慶應大学か国際基督教大学(ICU)。それで大学受験を迎えるのですが、残念ながら一橋大学は不合格。合格した慶應とICUですが、私の中ではほぼICUに傾いてたんです。なぜなら白楽の自宅から往復で4時間も通学にかかるため、一人暮らしできるかもしれないでしょう。一方の慶應は教養課程の日吉キャンパスがすごく近い。そもそも一橋大学に行きたかったのも、できるだけ親元から離れて生活してみたいという理由があったんですね(笑)。

 両親とも慶應大学卒でしたから、いろいろ相談もしました。でも、私、当たると有名な「新宿の母」の栗原すみ子さんに占ってもらったんです。そしたら「あなたは将来、海外で生活することもあるようだから、ICUがいいと思う」と。それが決定打となった、わけでもないのですが、結局私はICUで心理学を学ぶ道を選んだんですね。女子高だった中高時代とは打って変わって、共学のICUに入学したとたん周囲の雰囲気がガラリと変わりました。そんなこともあって、2年間は何の迷いもなく、とても楽しいキャンパスライフを送ることができました。

 でも、20歳になってふと考えたんです。第一志望の大学に合格できなかった自分。ICUの2年目にUCLAやバークレーへの留学制度があったのですが、選ばれなかった自分。自分自身、器用なほうだと思っていましたし、ある程度のことはできているけど、いろんな意味で中途半端じゃないのかな。そもそも私は人生で何をやりたいのかなって。そうやって悩むうちに、放送に携わるような仕事、人にインタビューするような仕事、あるいはDJ、そんな仕事をしている自分が頭に浮かんできたんです。それで、この分野を本気で極めてみようと思い、まずはアナウンサー養成スクールに通いはじめることに。

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