第62回 株式会社エムビーエス 山本貴士 2

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あるものは守る、そして長く愛されるものをつくる。
そこに安全という柱を組み込んで、社会貢献を続けます。

 家業の倒産により、一家離散。強硬な債権回収が始まる。裕福な家庭事情は暗転し、いきなりどん底生活へ突入。そんな家庭に生まれ育った少年は、勉強とス ポーツを武器に、自分を外部からの攻撃から守り続けた。青春時代、高校をすぐに辞め、やんちゃもしたが、18歳の夏、あるきっかけから、社長を目指していた幼き頃の夢を思い出した。最初に就職した会社で、組織運営の“いろは”を吸収した後に退職。起業を決意し向かった先は、父が事業を失敗させた、自身の生まれ故郷でもある山口県・宇部市。底辺からのスタートすることを自分で決め、足場組みの個人事業主から、上場企業経営者へと自分自身を成長させたのが、株式会社エムビーエスの代表取締役、山本貴士氏である。ロック界の“成りあがり”代表が矢沢永吉氏なら、山本氏はビジネス界のそれといえよう。今回は、そんな山本氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<山本貴士をつくったルーツ1>
父の会社が倒産し、幸せな家庭は崩壊。祖父母を守るため、ひとり実家に残る

  山口県の宇部市が僕の生まれ故郷です。父は建築系のインテリア会社の経営者で、従業員も多数抱えて、繁盛させていたようです。ですから、当時はかな り裕福な家庭でしたよ。どれくらい裕福かというと、まず、家には数え切れないくらいの日本刀のコレクションがありました。父の趣味だったんでしょうね。で、それを使ってチャンバラゴッコをやって刀を傷つけてもまったく怒られませんでしたから。あと、幼稚園時代の記憶が残っている遊びといえば、実家の隣にある事務所での社長ごっこ。名前は忘れましたけど、手形に数字を押すスタンプ機で、みんなでばんばん手形をつくって遊んでいました。当然、僕が社長役ですよ(笑)。

 小学校に上がるころ、そんな裕福な家庭事情が一転。父の会社が取引先の事業失敗に巻き込まれていきなり倒産してしまうんです。それからヤクザ風の男たちが自宅に取り立てに来るようになって。土足でガンガン。本当にいきなりでした。何となく家族会議のようなものが開かれて、その2日後には父と母、1つ下の妹は群馬に夜逃げすることに。でも、僕は絶対について行かないと。家にはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが残ることになることを聞いて、僕が守らなきゃいけないと思ったんでしょうね。ヤクザがやってきたら、僕はいつもふたりを守るため、やつらにつっかかっていっていました。小さいから、何もできないんですけど……。それから家も会社も差し押さえられてしまって、祖父母と僕は小さな家に引っ越しすることになるんです。

 今思えば、親が必要とか、大人が必要とかまったく考えたことがない子どもでしたね。なぜか自立心が旺盛だったんですよ。お祖父ちゃんはとても厳しく、お祖母ちゃんは僕のことをいつも心配してくれる優しい人でしてね。僕はかなりの悪がきでしたから、それでいつもお祖母ちゃんはお祖父ちゃんに怒られて。もちろんお金もないですから、狭い家で生活も質素。だんだんふたりに負担をかけているなあと思うようになって。これ以上僕がここにいると逆に申し訳ないと。それで、小学校2年のときに、ひとり群馬の両親の元へ行く決意をするんですよ。

<山本貴士をつくったルーツ2>
憧れではなく、お金を稼ぐ職業として、プロ野球選手になると誓った小学生

 群馬の小学校に転校しましたが、生活はドが付くほどの貧乏ですよ。家に電話はないし、給食費が払えなくて担任の先生に立て替えてもらったこともある。給食費を集めるための封筒を家に持って帰るのが本当に嫌でしたね。僕らが小さなころって、大多数を占める中流家庭の子どもが、貧乏か身体的問題を持つ子どもをマトにしていじめるというものでしたでしょう。だから、それを避けるツールとして、スポーツと勉強はしっかりやりました。特に、はまったのは野球ですね。小学校時代は、本気でプロ野球選手になりたいと思っていたんです。単なる憧れではなくて、金を稼ぐ職業のひとつとして。

 父は会社勤めを始めたのですが、やはり元経営者というプイライドが邪魔するのでしょう。雇われる働き方にうまく入っていけず、職を転々として酒に逃げるばかり。母の内職だけが家庭の原動力なわけです。小学4年生のころ、確かジャイアンツのある選手だったと思うのですが、年俸で4000万円ももらっているということを知った。父の背負った負債が3000万円くらいと聞いていましたから、プロ野球選手はたったの1年でそれを超える金を稼げるのかと。それからは野球一色の生活ですよ。中学卒業まで続けて、同級生のチームメートのうち5人が甲子園に出場しています。けっこう強いチームだったんですよ。

 僕の場合は、野球を断念せざるを得ない事態が発生……。父と母が離婚してしまうんです。高校に入学はしたのですが、すぐに自主退学しました。生活費のほとんどを母に頼っていましたからね。妹は絶対に高校だけは卒業してもらいたかったので、自分がのんびり学校に行っている場合じゃなくなった。それからは働きまくりの毎日です。トラック運転手の助手、ラーメン店のホール係、物置の組み立て工など、いろんなアルバイトを続けました。それでも月に10万円稼ぐのが精一杯。アルバイト料のほとんどが、日々の生活費と妹の学費に消えていきました。

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