第51回 株式会社スタートトゥデイ 前澤友作 3

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<アメリカ音楽遊学の旅へ>
現地ライブハウスで新たな可能性を発見!バンドとビジネス、二足のわらじ生活の始まり

  この頃から、将来は音楽に囲まれた生活を続けていくんだと勝手に決めていました。それで、僕はアメリカに行くんですよ。バイトで稼いだお金を使って サンタモニカへ。いろんなライブハウスを巡りましたね。まあ、音楽遊学みたいなものですよ。結局、3カ月のビザを一度更新して、半年間滞在しました。アメ リカのライブハウスって、日本とはコンテンツも仕組みもかなり違っていたんです。バンドのメンバーが自ら食事をつくって、来場者に手配りしたり、自分たち と仲のいいバンドのレコードやTシャツを売ってあげていたり。

 あと僕の中ではロックやパンクって、セックス、ドラッグ、デストロイとか、ブラックなイメージだったのですが、現地で出会ったバンドが活動するラ イブハウスでは、ノンアルコール、タバコも含めノンドラッグでとてもクリーン。そして彼らの曲の歌詞を読み込んでみると、世の中をこうやって変えていこう とか、しっかりしたポリティックな内容のものも多いんですよ。音楽でこういうのもありなのか。カッコいいなって、素直に思いました。

 そして帰国後は、まずはアメリカの真似してみた。さすがに米を炊いてオニギリ配ったりまではしませんでしたけど(笑)。自分たちのバンドがライブ ハウスに出演する時に、知り合いのバンドのレコード、僕がアメリカで仕入れてきたレコードやTシャツを販売したり。中でも、アメリカで僕がセレクトしてき たバンドのレコードがすごく売れるんですね。最初の頃は原価で販売していたのですが、あまりに売れるので商売にしてみようと。それから商品タイトルを書き 込んだA4の用紙をコピーして、配り始めた。カタログ通販の始まりです。これが1995年くらい。『DOLL』という音楽雑誌の無料3行広告で告知したら 全国から問い合わせが入るようになって、電話注文も受け付けるように。

 バンド活動と、レコードのカタログ通販ビジネス。二足のわらじ生活の始まりです。バンドのほうはこの頃インディーズでレコード2枚くらい発表して いました。で、自宅の一部屋を拠点としながら、カタログ通販ビジネスがどんどん伸びていくんです。そのうち自分だけでは手が足りなくなって、当時の彼女や 親友たちに手伝ってもらいながら。最初、A4用紙1枚だったカタログは、2000年には100ページくらいの冊子になって、約2万部発行していました。月 商はいい時で約800万円とか。遊びで始めたこのビジネスが、なんと年商1億円に手が届くまでに成長していったんですよ。

<成功と挫折>
バンドはメジャーに、ビジネスも順調。しかし、どちらにも暗雲が漂い始める      

  1998年5月に、当社の前身となる会社組織、有限会社スタート・トゥデイを設立しています。自宅を出て、東京の小岩に小さいながらも自宅兼事務所 も構えました。それまでは個人事業主という立場だったのですが、売り上げも大きくなっていましたから、ここは法人をつくってしっかりした運営を目指そう と。会社設立の手続きはすべて自分です。試行錯誤しながら、何度法務局に足を運んだかわかりません。また、2000年にはインターネットが普及していたこ ともあり、カタログ通販のオンライン化にも踏み切りました。サイトの制作を業者にお願いし、表面的にはうまく仕上がったのですが、基幹システムの仕組みが いまひとつ。それで自分で秋葉原に行って専門書を購入。何日か徹夜して、システム開発に取り組んだんですよね。これにより、カタログ制作、発送コストが格 段に削減され、収益率が一気に向上していきます。

 一方、バンド活動のほうは、インディーズで数枚のレコードを発表した後、大手のレーベルからお声がかかりメジャーデビューを果たすことになりまし た。インディーズの頃は、音源づくりは当然、ジャケットのデザイン、プレス工場の選定、営業販売活動まで、すべてバンドにかかわるメンバーだけでセルフマ ネジメントしていました。が、メジャーになるとそうもいかないわけですよ。アーティストあってのレーベルではありますが、やはり彼らには彼らのやり方があ る。別に、大きなレコード販売店に営業同行して頭下げてまで売ってもらうとかしたくない。僕たちの知らない人たちに、僕たちのやり方を操作されるというこ とに、ものすごい気持ち悪さを覚えるようになっていくんです。

 そんな時、カタログ通販を行っていたスタートトゥデイのスタッフがどんどん辞めていくという事件が起こりました。15人くらいいたスタッフが半年 くらいの間に3人まで減ってしまった。これは自分の落ち度だと、正直ちょっとへこみました。これには2つの理由があります。ひとつは僕のノンマネジメント にみんな不安を感じていたということ。プロとしてのバンド活動も続けていましたから、社長の僕は仕事をみんなに任せて全国へライブツアーに出かけていくわ けです。そりゃあみんな不安にもなりますよ。僕は会社もバンドのようなものだと考えていたんですね。うまく説明できないですが、「みんなもこの活動がした いから勝手に集まって楽しんでやってんだろう」と。そういう意味で、当時の僕は経営者とは呼べなかったですね……。もうひとつは、オンライン化により、仕 事量が軽減されて、スタッフが手持ち無沙汰になってしまっていたこと。そしてこの事件がきっかけとなり、僕は今へとつながる大きな決断をするんですよ。

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