第51回 株式会社スタートトゥデイ 前澤友作

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

第51回
株式会社スタートトゥデイ 代表取締役
前澤友作 Yusaku Maezawa

1975年、千葉県生まれ。早稲田実業高校在学中に、インディーズバンドを結成。大学へは進学せず、高校卒業後すぐにアメリカへ半年間の音楽遊学。1995年、音楽活動を続けながら輸入レコード・CDのカタログ通販ビジネスを自宅にて創業。自身のバンドはその後メジャーデビューを果たしている。1998年5月に、有限会社スタート・トゥデイを設立。本格的に事業をスタートする。2000年、CDのカタログ通販を「STM online」としてオンラインショップ化。同年4月、スタートトゥデイとして株式会社に改組。10月、ストリート系アパレルの通販を手がける、オンラインセレクトショップ「EPROZE」をオープン。2001年にバンド活動を停止。会社経営への専念を決断する。その後、地道な営業と販売活動の継続により、17店のオンラインセレクトショップを展開するまでに。2004年、それらのオンラインショップを統合するかたちでネット上に“想像”と“創造”の交わる街「ZOZOTOWN」をオープン。その後も着々事業を拡大し、2007年10月にはECサービスや各種情報サービスを展開する「ZOZORESORT」をスタート、12月、東証マザーズ上場を果たす。

ライフスタイル

好きな食べ物

寿司かなあ。
スタッフと一緒に飲みに行くことも多いんです。で、若いのと焼肉とか食べに行くと、ちょっと前までは同じように平らげていたんですが、最近はなんだか脂っこいものをあまり体が受けつけなくなった。だから、最近の好みは寿司ですかね。酒をあまりに飲みすぎるから、食べられないだけという話もあるようですけど(苦笑)。

趣味

ゴルフでしょうか。 
2年前、知り合いの経営者から「頼むから1回ゴルフをやってみてくれ。絶対に楽しいから」と頼まれたので、一緒にゴルフ場に連れて行ってもらったんですよ(笑)。そしたらですね、はまってしまいました。最近は寒いので、国内のプレーはしていませんが、海外旅行に行ったら、毎日でもOKですね。

最近、一番嬉しかったこと

東証マザーズの上場日です。
毎年、スタッフが企画してくれる僕の誕生日のサプライズイベント。それも嬉しいのですが、最近での一番は、昨年2007年12月11日の上場日に、東証に呼ばれて表彰されたこと。僕のこれまでの人生、ほとんど人からほめられたことがありませんでしたから、とても嬉しかったですね。なんたって、僕たちの活動の社会性を認められたということ。ファッションに関連する方々だけではなく、一般の投資家の方々とつながりができることも、大きなチャンスです。これからが、ますます楽しみです。

行ってみたい場所

知床の羅臼にもう一度。
僕の最終的な人生の目標は漁師になることなんです。人間の本来の姿って狩人だと思う。日本で狩りをして生きていける人を探してみると、漁師くらいしか浮かばないんですよ。乱獲をせず、必要な量だけ海の恵をちょうだいして、自然の脅威と戦いながら。美しい海を守るための配慮も忘れない。数年前、知床の羅臼町で、そんなカッコいい漁師のおじさんに出会ったんです。もう一度、会いに行きたいなあと。たまに思い出すんですよね。

「世界中をカッコよく、世界中に笑顔を。」ファッションを通じてこの理念を実現します

「DEVILOCK」「XLARGE」などといった若者に大人気のストリート系アパレルブランドを始め、ユナイテッドアローズ、ビームス、シップス、などの人気セレクトショップなど、約680のブランドがインターネット上に存在するリゾート「ZOZORESORT」に出店している。なぜ、これほど多くのアパレルブランド企業が、このオンラインリゾートに注目しているのか。このオンラインリゾートをつくり上げたのが、株式会社スタートトゥデイ代表の前澤友作氏。10代から音楽活動を始め、メジャーデビューを果たした。その過程で、レコード・CDのカタログ通販ビジネスを開始し、そのコンセプトが「ZOZORESORT」の原型となっている。音楽が好きな自分が、好きな音楽をユーザーに届ける。ファッションが大好きな自分たちが、大好きな服をユーザーに届ける。「自分たちの好きなものを好きと言ってくれる人に届ける」という、原理原則は「ZOZORESORT」のコンセプトとして今もしっかりと受け継がれているのだ。今回は、スタートトゥデイのボスである前澤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<前澤友作をつくったルーツ1>
クワガタ捕りとリーバイスの古着。商売とおしゃれを知った小学時代

出身は千葉県の鎌ケ谷市ですね。生まれた瞬間から1カ月くらいは横浜だったそうですが。両親も経営者だったか?いいえ、経理・財務畑を実直に勤め上げた会社員ですよ。定年退職をして、今は2歳下の弟が社長をやっている会社の取締役になっています。父はクラシック音楽が大好きな人で、母はアルフィーの大ファン(笑)。最近、浜田省吾さんに鞍替えしたみたいですけど(爆)。小さな頃からコンサートに連れて行ってもらったりしていたから、音楽は物心ついた時から身近なものでしたね。音楽ってファッションがつきものでしょう。だから、おしゃれをし始めたのも早かった。小学4年で古着のリーバイスとかはいていましたから。周りのみんなは半ズボンなんですけどね。

僕はクワガタ捕りの名人だったんです。近所に毎朝なぜか焚き火をしているおじいちゃんがいましてね。その人が、たくさん捕れる秘密の場所と、捕り方のコツを教えてくれた。自宅の最寄り駅から、5駅くらい離れた地域にある森なんですけど。電車で出かけていって大量に捕って、小学校のクラスで友だちに量り売り。電車賃を差し引いてもお金が残るくらい稼いでいました。今思えば、あれが初めて手がけたビジネスなんだろうな。あと、スポーツも得意で、勉強もできましたから、自分でいうのもなんですがけっこうモテました。ただ、バレーやバスケットだけは苦手。小さい頃からあまり背が高くなかったので。

勉強はそれほど一生懸命した記憶はないです。親に勧められて公文の教室には通っていましたが。公文で時間制限のある10ページくらいの問題集に取り組んだ時、ある法則に気づいたんですよ。それがわかってしまうと、誰でも早く解けるようになる。これでは正確な学力測定ができないわけです。それを公文の先生に抗議しました。改善されたかどうかは覚えていないですが、「確かにそうだ」と受け入れられたんですよね。昔から、おかしいと感じたことはすぐに口に出すタイプ。正義感が強いというか。だから、学校の先生とぶつかることも多かった。熱血タイプの先生には好かれるんですが、公務員タイプの場当たり的な態度を取る先生には、めちゃくちゃ煙たがられていました。完全に無視されたりとか。正しいと思っての言動ですから、なぜなんだろうって涙したこともありましたよ。

<前澤友作をつくったルーツ2>
親も喜ぶ早稲田実業高校に進学するも、高2からは音楽活動一辺倒の生活に

中学でもそのノリは全く変わりません。ある先生から、「悪の枢軸はお前だ」扱いされたこともありました。そんなことは身に覚えがないんですけどね。ちなみに部活動には参加せず、帰宅部に入部。まあ、ちょいワルという感じです。帰り道にある駄菓子屋で、帰宅部仲間と「うまい棒」とかかじりながら食っちゃべったり、ゲームセンターにたむろしたり。だから、尾崎豊さんの歌みたいな、「盗んだバイクで走り出して、校舎のガラス壊して回った」なんてことはしていないですよ。

あとはやっぱり音楽ですね。ギターを弾き始めたのもこの頃。中学3年でバンドも組んでいましたし。邦楽ではBOOWYとかエックス、年上の先輩とかともよく遊んでいましたから、洋楽を聴き始めたのも早かったですね。ボン・ジョヴィやメタリカとかよく聴いていました。ハードロックから始まって、その後はハードコアパンクとか、どんどん音が大きくて激しい音楽に傾倒していくんですよ。ちなみに、スタートトゥデイという会社名は、僕が好きだったニューヨークのバンド「ゴリラ・ビスケッツ」の曲のタイトルから拝借したものです。

高校は、早稲田実業に進学しました。両親に勧められて受験したら受かっちゃったんで。それまでは、地元の公立に通っていたのが、東京まで電車で1時間半くらいかけて通学する生活へと激変。1年の時は、皆勤賞だったのですが、2年からはだんだんとサボルことが多くなりました。朝から暗い顔した会社員の人たちに囲まれた通学の時間が、すごく無駄に思えてきたんです。自分の父親もこうやって毎日通勤電車にゆられて会社に行っていたのかと思うと、なんだかとても切ない気持ちになりましたね。それからは週に2日くらい学校に行って、あとは建築系バイトをしてスタジオ代を稼いで、都内のあちこちのライブハウスでバンドのライブ活動に時間を割くように。

担任の先生がとてもいい人でして、「バイトのある日は電話してこい。でも、絶対に退学せず、卒業するんだぞ。俺が何とかするから」と。その先生のおかげで、高校を卒業できたようなものです。両親にはすごく迷惑かけたと思います。普通にやっていれば、自分の子どもが早稲田大学に入学できたんですから。最後は父も母も僕の大学進学はあきらめて、「とにかく卒業はしてほしい」と。ふたりの僕に対する期待のランクを、かなり下げちゃった。やっぱり残念だったでしょうね。


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<アメリカ音楽遊学の旅へ>
現地ライブハウスで新たな可能性を発見!バンドとビジネス、二足のわらじ生活の始まり

この頃から、将来は音楽に囲まれた生活を続けていくんだと勝手に決めていました。それで、僕はアメリカに行くんですよ。バイトで稼いだお金を使ってサンタモニカへ。いろんなライブハウスを巡りましたね。まあ、音楽遊学みたいなものですよ。結局、3カ月のビザを一度更新して、半年間滞在しました。アメリカのライブハウスって、日本とはコンテンツも仕組みもかなり違っていたんです。バンドのメンバーが自ら食事をつくって、来場者に手配りしたり、自分たちと仲のいいバンドのレコードやTシャツを売ってあげていたり。

あと僕の中ではロックやパンクって、セックス、ドラッグ、デストロイとか、ブラックなイメージだったのですが、現地で出会ったバンドが活動するライブハウスでは、ノンアルコール、タバコも含めノンドラッグでとてもクリーン。そして彼らの曲の歌詞を読み込んでみると、世の中をこうやって変えていこうとか、しっかりしたポリティックな内容のものも多いんですよ。音楽でこういうのもありなのか。カッコいいなって、素直に思いました。

そして帰国後は、まずはアメリカの真似してみた。さすがに米を炊いてオニギリ配ったりまではしませんでしたけど(笑)。自分たちのバンドがライブハウスに出演する時に、知り合いのバンドのレコード、僕がアメリカで仕入れてきたレコードやTシャツを販売したり。中でも、アメリカで僕がセレクトしてきたバンドのレコードがすごく売れるんですね。最初の頃は原価で販売していたのですが、あまりに売れるので商売にしてみようと。それから商品タイトルを書き込んだA4の用紙をコピーして、配り始めた。カタログ通販の始まりです。これが1995年くらい。『DOLL』という音楽雑誌の無料3行広告で告知したら全国から問い合わせが入るようになって、電話注文も受け付けるように。

バンド活動と、レコードのカタログ通販ビジネス。二足のわらじ生活の始まりです。バンドのほうはこの頃インディーズでレコード2枚くらい発表していました。で、自宅の一部屋を拠点としながら、カタログ通販ビジネスがどんどん伸びていくんです。そのうち自分だけでは手が足りなくなって、当時の彼女や親友たちに手伝ってもらいながら。最初、A4用紙1枚だったカタログは、2000年には100ページくらいの冊子になって、約2万部発行していました。月商はいい時で約800万円とか。遊びで始めたこのビジネスが、なんと年商1億円に手が届くまでに成長していったんですよ。

<成功と挫折>
バンドはメジャーに、ビジネスも順調。しかし、どちらにも暗雲が漂い始める

1998年5月に、当社の前身となる会社組織、有限会社スタート・トゥデイを設立しています。自宅を出て、東京の小岩に小さいながらも自宅兼事務所も構えました。それまでは個人事業主という立場だったのですが、売り上げも大きくなっていましたから、ここは法人をつくってしっかりした運営を目指そうと。会社設立の手続きはすべて自分です。試行錯誤しながら、何度法務局に足を運んだかわかりません。また、2000年にはインターネットが普及していたこともあり、カタログ通販のオンライン化にも踏み切りました。サイトの制作を業者にお願いし、表面的にはうまく仕上がったのですが、基幹システムの仕組みがいまひとつ。それで自分で秋葉原に行って専門書を購入。何日か徹夜して、システム開発に取り組んだんですよね。これにより、カタログ制作、発送コストが格段に削減され、収益率が一気に向上していきます。

一方、バンド活動のほうは、インディーズで数枚のレコードを発表した後、大手のレーベルからお声がかかりメジャーデビューを果たすことになりました。インディーズの頃は、音源づくりは当然、ジャケットのデザイン、プレス工場の選定、営業販売活動まで、すべてバンドにかかわるメンバーだけでセルフマネジメントしていました。が、メジャーになるとそうもいかないわけですよ。アーティストあってのレーベルではありますが、やはり彼らには彼らのやり方がある。別に、大きなレコード販売店に営業同行して頭下げてまで売ってもらうとかしたくない。僕たちの知らない人たちに、僕たちのやり方を操作されるということに、ものすごい気持ち悪さを覚えるようになっていくんです。

そんな時、カタログ通販を行っていたスタートトゥデイのスタッフがどんどん辞めていくという事件が起こりました。15人くらいいたスタッフが半年くらいの間に3人まで減ってしまった。これは自分の落ち度だと、正直ちょっとへこみました。これには2つの理由があります。ひとつは僕のノンマネジメントにみんな不安を感じていたということ。プロとしてのバンド活動も続けていましたから、社長の僕は仕事をみんなに任せて全国へライブツアーに出かけていくわけです。そりゃあみんな不安にもなりますよ。僕は会社もバンドのようなものだと考えていたんですね。うまく説明できないですが、「みんなもこの活動がしたいから勝手に集まって楽しんでやってんだろう」と。そういう意味で、当時の僕は経営者とは呼べなかったですね……。もうひとつは、オンライン化により、仕事量が軽減されて、スタッフが手持ち無沙汰になってしまっていたこと。そしてこの事件がきっかけとなり、僕は今へとつながる大きな決断をするんですよ。

オンライン上のリゾート「ZOZORESORT」に、
680もの人気アパレルブランドが出店する理由

<バンド活動の停止>
音楽の道を捨て、会社経営者に専念。地元・千葉県に拠点を移してリスタート!

正直言うと、バンド活動に飽き始めていたということもあるんです。ずっと同じメンバーで、3分とかの尺の音源をつくり続けるリピート的生活の繰り返し。こっちはもうそろそろいいだろうと。2001年にプロとしての活動は停止しています。それよりも、ビジネスはどんどんやりたいことが出てくるし、やればやっただけストレートにさまざまなフィードバックを体感することができる。もちろん、まずは手伝ってくれたスタッフが大量に辞めていったことを猛省しました。まじめにやってみようと。スタッフが辞めていったことはとても残念でしたし、大変でしたが、オンライン化して業務量を軽減しておいたことは、少人数で会社を立ち上げ直すために運命が定めた布石だったのかもしれませんね。

それから経営者として何を大切にしてきたかというと、やはり、メンバーとの会社が進んでいくべき理念の共有です。どのタイミングだったか定かではないですが、ある経営者からこんなことを教えてもらった。「売り上げ、1億、3億、10億、30億。社員数、1人、3人、10人、30人という会社の成長過程において、必ず何らかのハードルが訪れる」と。スタッフが10人くらいまでなら、「おーい、みんな集まれ!飲みに行くぞ」で、理念共有は図れるでしょう。が、それが30人を過ぎた頃から俄然難しくなるんです。僕の場合は、この頃から組織図づくりをするようになりました。紙と鉛筆を使って人を配置していくとチームができて、その中の誰をトップに据えるか。これがいわば事業部であり、部長となるわけです。スタッフが50人を超えた頃には、こうした権限委譲の仕組みづくりだけではなく、企業理念や大切にすべきことの明文化にも取り組みました。今だって、自分たちのアイデンティティーを隅々まで行き渡せる、しっかりと伝えていく、その仕組みづくりを常に考えていますね。

現在は千葉県・海浜幕張駅前に立つ、「WBGマリブウエスト」に入居しています。2001年に、小岩の事務所から引っ越しをしてきてから、事業拡大のたびに数回ビル内移転をしてきました。そもそも、このビルへ入居した理由は、これからのベンチャー企業のために保証金のかからないインキュベーションオフィスを提供していたから。当時、そのインキュベーションオフィスに入居していたほぼすべての会社の社名は消えていったように思います。ちなみに、僕らはオフィスを自分たちの使いやすいように改造しすぎるので、不動産屋さんからはかなり疎まれているんですよ(苦笑)。

<2004年、「ZOZOTOWN」誕生>
文字どおり、倍々ゲームで急成長。2007年12月、東証マザーズ上場!

レコードのカタログ通販から始まった僕たちのビジネスは、自分たちが好きな音楽をユーザーにお届けするというものでした。僕はファッションも大好きですから、自然と僕たちの好きなファッションもお届けしたいと考えるように。ストリートファッションから始め、2000年10月に、オンラインセレクトショップ第1号として「EPROZE」をオープン。そこからこつこつとご参加いただけるブランドを増やしていき、セレクトショップの数が17店になった2004年12月、想像と創造の行き交う街「ZOZOTOWN」をオープン。信頼するスタッフたちが好きなブランドに出店営業に出かけ、日々、笑顔でその商品をユーザーの方々に届ける活動を続けている。その姿を見ることが僕は大好きなんですよね。スタッフみんなの頑張りやお取引先の理解もあり、今では680ブランド、常時2万アイテムを取り扱わせていただいています。

そして毎日500~1000点の最新アイテムがサイトにアップされ、すぐに完売してしまう商品も多いですね。どこまでも自分たちの手でこのサービスを完成させたいので、物流部門である「ZOZOBASE」まで自分たちで運営しています。これまでは本社機能と物流機能、両方が同じフロアに入居していたのですが、手狭になったため今は「ZOZOBASE」だけが新習志野のガレージで活動しています。また、2006年9月には当社のアクティブユーザーが居住するスタイルを取るSNS「ZOZORESIDENCE」をオープンさせました。招待制による3200人の限定入居ですが、常に満室の状況です。そして、2007年10月にはECサービスやこれらの各種情報サービスを展開する想像と創造のオンラインリゾート「ZOZORESORT」をスタートさせました。

事業の拡大に伴い、スタッフ数も約200人弱まで増えています。そして全員で地道にこの事業を継続させていった結果、2007年3月期では年商60億円、商品取扱い高で112億円ほどの売り上げを誇るサイトへと成長させることができました。最初は営業に出かけても、門前払いされることばかり。ですが、今や数々のアパレルメーカーさまから「東京、大阪、名古屋、いや全国規模のリアル施設と比べても、売れている商業施設といえる」というご評価をいただいています。その結果をもって、より多方面の社会とネットワークできる道を選択し、2007年12月11日、株式会社スタートトゥデイは東証マザーズに上場しました。次なる新たな一歩を踏み出すための、準備も万全というところです。


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<未来へ~スタートトゥデイが目指すもの>
継続的成長をしっかり計画・実践し、新たな領域へ積極的なチャレンジを!

未来へ向けて挑戦したいことは山ほどありますが、大きくは3つの目標を掲げています。1つ目は、「ZOZORESORT」の継続的成長です。当社がお取引させていただいているアパレルブランドの市場規模ですが、これがだいたい5000億円。そして、アパレル業界全体のEC販売割合を調べてみると、約3%。市場全体の約3%である売り上げ150億円はほぼ達成ベースに入っています。僕たちはEC時代の幕開けとともに、この事業展開を始めていますから、当然といえば当然です。しかし、今以上にブランド数を増やすつもりはありません。ですから1アイテム当たりの購買ユーザー数を増やす、ユーザーひとり当たりの購買金額を増加させる。そういった方向で、「ZOZORESORT」の業績を伸ばしていく戦略を考えています。

2つ目は、事業の多角化ですね。現在、売り上げの99%がBtoCのEC事業でまかなわれています。当社には数百社の人気アパレルブランドとのお取引実績がありますから、このネットワークを活用して、広告ビジネスなど何らかのBtoB系新規事業を手がけていきたい。そして3つ目が、購買ユーザーの領域拡大です。当社のスタッフ平均年齢は25.3歳。一方、ユーザーの平均年齢は26歳です。当然、双方の年齢は年々上がっていきますし、どんどん新たに出現する若年層ユーザーのキャッチアップもしておかねばなりません。まだくわしくはお話できませんが、例えばミドル領域の新しい街が生まれるかも。うちも、おっちゃん・おばちゃん社員が確実に増えていきますから(笑)。

また、大好きな地元である千葉の活性化に貢献していきたいです。僕自身、切った張ったで規模を拡大していく会社成長ゲームには全く興味がないんです。それよりも、例えばトヨタ自動車さんのように、地元をしっかり繁栄させながら、世の中に必要な価値を提供していくほうがカッコいいじゃないですか。その一環として、千葉ロッテマリーンズさんと提携して、海浜幕張駅にダブルネームの広告展開などを始めています。いきなりどーんと大きな土地を取得して、大型ショッピングモールを立ち上げる、なんてことはありませんよ。心ある企業や組織とじっくり話し合いながら、少しずつ計画を進めています。その詳細については、ちょっとまだ秘密ですね(笑)。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
自分の経験、時間、お金を誰かのために使う。そして「ありがとう」が生まれる“自事”を探そう

今、何となく雇われて仕事をしている人って多くないですか。でも、それじゃつまらないでしょう。何のためにあなたがそれをやるのか。そういった目的や理念を持ってほしい。でも、「あなたが本当にやりたいことって何?」と聞かれて、答えられる人も少ない気がする。そんな人たちに言ってあげたいのは、何でもいいから誰かのためになることをしてみようということ。例えばですが、あなたの彼女がお菓子好きだったとしたら、その彼女のために一所懸命お菓子づくりの勉強をして、ケーキショップの開業を目指してみる。そこまででなくても、両親を旅行に連れて行ってあげるために働くでもいい。自分の時間、経験、お金を自分以外の人のために生かす。その対価として「ありがとう」という感謝が返ってくる。その喜びの素晴らしさを知った人は、働くことに対する世界観が変わってくると思います。

ちなみに当社の企業理念は「世界中をカッコよく、世界中に笑顔を。」。昔、僕が活動していたバンドの歌詞の中にも、同じような意味のワードをけっこう使っているんです。現状維持じゃなくて、もっといい方向に変えていきたいって。そういった意味では、音楽をしていた時から、僕自身が持っている理念って変わってないのかもしれない。「ZOZOで売られている服っていいよね」「この服が大好き」と言ってくれるたくさんのユーザーの笑顔のために、たくさんの素晴らしい服を僕たちも笑顔でお届けしていく。もういきなり世界のために活動しているわけですから、うちのスタッフは最高にいいやつらばかりですよ。みんな“仕事”じゃなくて、“自事”として活動してくれている。これは本当に自慢したいことですね。

あと、地元を活性化したいと言ったじゃないですか。幕張の近くに住んでいるスタッフには3万円程度の「幕張手当」を支給しています。スタッフの3分の1くらいがこの手当てを使っているんじゃないですか。自転車で海の見えるオフィスに通勤して、自分の大好きな服たちに囲まれた仕事場で働く。この幸せは経験してみないことにはお伝えしづらいのですが。いずれにせよ、自分を誰かのために役立てることができて、できるだけ笑顔でいられる“自事”。それを見つけられることができれば最高ですよね。最後に一言。うちの社内では、朝の通勤電車など疲れた大人がたくさん乗っている交通機関に居合わせたら、その人のことを知らなくてもいい、「おはよう!」って声をかける活動を始めようかと話しているんです。ちょっと怪しい行動ですかね(笑)。でも、そうやって明るく挨拶された人は、絶対に嬉しいでしょう。笑顔になる。みなさんも、そんなところから始めてみてはどうでしょう。もちろん今日から。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓


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