第28回 株式会社幻冬舎 見城 徹 3

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<世の中との闘争の日々が始まる>
現実の踏み絵を踏み抜けなかった自分。資本主義世界での成功を心に誓う

  高校を卒業して慶応義塾大学に進んだ僕は、彼女に週に2、3回手紙を書いて文通して、たまに電話して。1年後に彼女が法政大学に進学して上京して来るまでは、そんなつながりです。そして、映像の世界に少し興味があった僕は、大学の放送研究会に入ったんだけど、そこはセクトの巣。ヘルメットに角材を 持って、自由と平等を勝ち取る闘争の日々に放り込まれた。デモに参加して、火炎瓶もよく投げたね。このころ、田舎から出てきた無名で貧乏な自分が、周りの仲間を愛しながら小さく生きて、最後は小さく死んでもいいじゃないかと本気で考えていて。その一方で、これからの自分はどうなっていくんだろうという不安を抱きながら、死のキャリアとしての人生を歩むことに、ものすごいせつなさを感じるようになっていったんだ。そもそも人間、生まれたからには例外なく、死に向かって歩いている死のキャリアであるわけだからね。

 そのせつなさを何かでごまかさなければ、苦しくて生きてはいけない。その苦しさを埋めるものが僕の中では5つある。恋愛、仕事、家族、友人、そして金。でも当時は恋愛しかなかったよ。好きな女性か ら「見城君、ステキー!」って思われることが、ものすごいエネルギーになる。これは今でも同じなんだけどさ(笑)。思い出すのは、機動隊と衝突して捕まっ て、引きずられて行く僕の足を彼女が必死でつかんでくれたときのこと。世の中の矛盾と戦う姿を大好きな彼女に見ていてほしいというパッションが、当時の僕を動かしていたんだと思う。

 1972年5月、赤軍派の奥平剛士ら3人がパレスチナ奪還のため、イスラエルのテルアビブ・リッダ国際空港で自動小銃を乱射した。結果、24人を 死亡させ、76人が重軽傷を負うというテロ事件を起こして、最後に奥平はここで命を絶った。彼は自分が抱いた観念を貫徹するために、現実の踏み絵を踏み抜 いたわけだ。でも、僕は結局、死を賭すことはできなかった。逮捕されるのは怖いし、母親を悲しませたくない、就職もしなければならないという想いが頭をよ ぎってね。行為として実践しないと、その思想や観念の価値はないんだよ。そして、僕は学生運動からすっぱり足を洗った。自分の臆病さに対する情けなさと、 奥平剛士の潔さと、実行への嫉妬……。このときに生まれた劣等感が、その後の僕をどんどんリスキーな仕事に向かわせているんだと思う。

 奥平に比べれば、今僕が背負っている、たとえば個人破産や会社倒産のリスクなんて何でもない。だから絶対に俺はこの世の中で成功してやろう。それが資本主義の醜さの証明につながる。いつもそんな気持ちで目の前の仕事に対峙してきたんだ。

<文芸編集者、見城徹の誕生>
表現者の情念を理解する自分を発見。角川書店にもぐり込み編集者の道を拓く

 大学を卒業後、ある出版社に就職した僕が初めて手がけた本のタイトルは『十万円独立商法』。当時、東京スポーツで記者をしていた高橋三千綱が、この 本を特集で大々的に取り上げてくれたんだよ。それが縁となって、三千綱から中上健次を紹介された。それ以降、ゴールデン街や新宿二丁目で、文学論議と喧嘩 の毎日を送るようになった。村上龍、立松和平、つかこうへいと知り合ったのもこのころだね。そんな日々を重ねるうちに、「彼らが表現しようとしている世界 には狂気が潜んでいる。自分には表現することができないオリジナルな世界だ。彼らは、それを表現しなければ生きていけない人たちなんだ」と思うようになっ た。

 百匹の羊、全員の平和と安全と維持を考えるのが、政治や経済、法律とか道徳の仕事。しかし、その群れから滑り落 ちる一匹の羊のために表現がある。僕はそう考えている。犯罪と表現、実は紙一重なんだとも。善悪を超えたものが本当の表現なんですよ。そして僕の中には、 一匹の羊である彼らが表現したい治癒不可能ともいえる情念を作品化し、プロデュースする役割のほうが合っている。小説家になりたいと思っていた時期に、そ のことに気づいてしまった……。そして僕は、彼らの表現活動をアシストしたり、補助線を引く、編集者として生きていくことを決めたんだよ。

 その後、会社を辞めて角川書店にアルバイトとしてもぐり込んだ。表現者たちと仕事をするために。でも最初は、事務や雑用ばかり。でも、どんな小さ なこともおろそかにせず、毎日明け方まで必死でやった。それが認められて、当時、角川書店で唯一の文芸誌『野性時代』の編集部に正式採用されたんだ。今で も、小さなことがきちんとできない人間に大きな仕事などできるわけないと思ってる。

 編集者となった僕は、「角川では書かない」と宣言している作家に書いてもらうことを決めた。角川書店というブランドの一員にはなったけど、入社以 来、その看板で仕事しようと思ったことは一度もない。ほかの誰かで足る仕事をしても意味がないし、スムーズに進んだ仕事なんて仕事とはいえないでしょう。 七転八倒して、血や汗を流して苦しんだものだけが大きな結果につながるんだよ。ローリスク・ハイリターンなんて絶対にない。そういえば学生時代の試験で も、一番難しい問題から先に解いてた。例えば英語の試験なら、まず英作文から。点の配当が一番高いし、誰でも解ける英文法なんかどうでもいいと思ってた ね。結局僕は、昔から難しいことに挑戦してしまう性分だったんだな(笑)。

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