第25回 株式会社キッズシティージャパン 住谷栄之資 4

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「キッザニア東京」が成し遂げたい志。日本の子どもたちに未来の自立心と独立心を!

<60歳でWDIの社長を退任>
日本の若者たちの未来に漠然とした不安を感じる

 2000年に、私はWDIの社長に就任しました。会社で定めた内規では、60歳で退職するようになっていましてね。まあ3年間社長をやってみて、自 分自身、やるべきことはやったという達成感もありましたので、予定通り私は60歳でWDIを去ることに。振り返れば、30年以上も外食産業の最先端を走り 続けてきたわけです。この後は外食企業2社のコンサルタントをしながら、そしてこれまでなかなかできなかったゴルフをしながら、余生をのんびり楽しもうと 考えていました。

 ただ、漠然とですが、日本はこのままで大丈夫だろうかという危機感はありました。WDIで 働いていたころに、お客さんやスタッフと話をしていると、特に若い人たちの目標が希薄というか、手応えがないというか……。今の日本は成熟社会であり、物 やサービスがあふれていますから、ハングリー精神がどんどんなくなっていくのも仕方がないのかもしれません。私たちの若いときのように、明日のメシが食え るかどうかという心配をする人なんて極わずかでしょう。そりゃあ、寝ていてもメシが食えるなら、寝ていたいと思うのが人情です。新聞などのマスコミをにぎ わしている、ニート問題にも心を痛めていました。

 退職した2003年のゴールデンウィークに、私はアメリカ旅行に出かける予定を立てていました。その少し前に、あるアメリカ人の飲み友達と会食す る機会がありましてね。その席で彼から「メキシコに『キッザニア』という子供向けの面白いテーマパークがあって、すごく盛り上がっている」という話を聞い たのです。何でも1999年にオープンした子どもたちが遊びを通して様々な職業を疑似体験することができるテーマパークで、オープン以来、年間80万人の 入場者数を維持しているそう。それは面白そうだと急遽予定を変更し、メキシコへ立ち寄ることにしたのです。

<60歳を超えての再起業>
「キッザニア」との出合い。日本での展開を決意する

 キッザニアのコンセプトには非常に感銘を受けました。既に子どもたちからの人気と共に社会的評価も高く、誰もが知る世界的企業がスポンサーとして参 画し、職業体験を提供するパビリオンを提供中。また、職業体験に参加した子どもたちには、労働の対価として仮想通貨である「キッゾ」が支給され、場内で買 い物をしたり、運転免許(もちろん仮想)取得などのサービスを受ける事ができます。そして今や数多くの小学校のカリキュラムにも取り入れられ、平日は課外 授業の場として利用されているのです。

 先ほどお話した日本の若年層への不安感も、やはり彼・彼女た ちが物心ついたときに社会との意思疎通ができなかったせいではないか。自分自身を振り返ってみても、昔は家族や友だち、そしてご近所付き合いの中で、社会 的な役割や人間関係を自然に学べる環境があったように思えます。「キッザニア」のような施設が日本にもあれば、今の子どもたちに少しでもそのような環境を 提供できるのではないかと考えるようになりました。

 そして帰国後、私はすぐに「キッザニア」オープンのためのスポンサー探しを開始します。そこでまずぶつかったのは、「なぜメキシコなのか?」とい うこと。誰もが新しいビジネスの出所は欧米であるという色眼鏡に毒されているんですね。まずは、この壁を突破しながら、「キッザニア」の社会的必要性を訴 え続けました。スポンサー探しに開業までのパワーの80%を使った気がしています。ある外資系大手のスポンサーからいったんはNOの返事が来たのですが、 その直後に日本支社の社長が変わりましてね。一転、「スポンサードしよう」となった。私の強運もまだ捨てたものじゃない(笑)。そして多くの企業の協力を いただいて、2004年9月、株式会社キッズシティージャパンの設立にこぎつけたのです。

 出店場所探しも苦労の連続です。6000平方メートルという広大な場所が必要でしたし。いくら社会的な必要性を感じていただけても、これはビジネ スですからね。「WDIの住谷さんならともかく、個人の住谷さんでは……」と、こうなるのです。しかしそこは粘り腰で交渉し、東京都江東区にでき上がる 「アーバンドック ららぽーと豊洲」に場所を確保することができました。これもあと1週間決断が遅れたら、話事態がご破算になるという、綱渡り状態での決定でした。

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