第18回 株式会社サイバーエージェント 藤田 晋 4

トップ

会社経営は終りのないマラソンのようなもの。経営者ならメンタルアスリートを目指そう!

<3人で始まったサイバーエージェント>
1週間で110時間働くと決め、自社開発商品を思いつく

 サイバーエージェントのスタート時は、メンバーが私を含めて3人だけ。全員、それこそ朝から晩まで、ウェブマネーという電子マネーの取扱サイト開 拓、Webサイトの制作請負など、様々なインターネット関連商品・サービスの営業代行に明け暮れました。創業後しばらくして、私は1週間で110時間働く とメンバーに宣言。平日は朝9時から深夜の2時まで、土日は12時間ずつ働くわけです。創業したての頃は、意外と仕事がなくて暇でした。ですから、そう やって無理に働く時間をつくることで、自分自身に仕事させるよう仕向ける。それで毎日、社内で新規事業コンテストもやっていました。

  インターネットのマルチベンダーのままでは、将来どうなるか危うい。そう考えていた私は、この頃から自社開発の強い商品・サービスを確立せねばと思ってい ました。そんな中生まれたのが、クリック保証型のバナー広告システム「サイバークリック」です。そして、バリュークリック社が展開していた「バリューク リック」との顧客獲得競争が始まります。熾烈な競争ではありましたが、私たちがクリック保証型広告事業に参入したからこそ、ネット広告の市場が広がったの だと自負しています。

 「サイバークリック」のシステム開発を手がけたのが、オン・ザ・エッヂです。サイバーエージェントが新サービスを企画する、オン・ザ・エッヂがシ ステムを開発する、そして、サイバーエージェントが売る。この循環がうまく機能し始めます。その後、クリック保証型メール広告ネットワークの「クリックイ ンカム(現・melma!)」も、オン・ザ・エッヂと組んで世に出したサービスです。

 そうして自社独自のサービスができ上がり、徐々に社員数も増え、売上高も増加。初年度初の決算売上高2,000万円は、翌年1999年には一気に 4億5,000万円となりました。2,000万円の赤字ではありましたが、当社設立から丸2年後に東証マザーズに上場を果たしたのです。その記念すべき日 は2000年3月24日、当時の私の年齢は26歳でした。

<上場! バッシングの日々の始まり>
株価が上場時の10分の1に。信念を抱き、耐え続ける日々

 上場時の初値は1,520万円。サイバーエージェントは時価総額で約700億円の企業となり、市場からの資金調達額は225億円に上りました。上場 してから少しして、ある投資家の方からこう言われました。「225億円調達したということは、利回り10%として、22億5000万円くらいは利益をだし てほしいね」と。私は上場して初めて、ことの重大性に気づいたのです。直近の決算での売上高は4億5,000万円でした。利益で22億5000万円か!?  早く会社を拡大させなければいけない……と。

 しかし、いわゆるネットバブル崩壊の影響で、株価は みるみる下がっていきます。マスコミの論調も、インターネットビジネスを否定するものが増えていきました。しかし、私は資金を調達したら、優秀な人材をそ ろえて、やりたいと構想していたインターネットビジネスをどんどんかたちにしていこうと考えていました。そもそも、東証マザーズは、直近の決算が赤字で も、本格的なベンチャー企業を育てるために創設された市場です。にもかかわらず、私とサイバーエージェントに対するバッシングは日に日に激しさを増し、そ れとともに株価は下がり続けました。

 一時期は、株価が上場時の10分の1にまで落ち込み、「投資家に死んでお詫びしろ!」と言われたこともあります。そして私は、焦り始めます。自分 が社長を辞めて、会社を身売りしようとまで考えたこともありました。しかし、株価の乱高下に振り回されるのではなく、有望な事業を育て、仕事のしやすい環 境を整えることが、中長期的には株主に貢献できることだと、私は信じていました。

 そんなある日、楽天の三木谷社長からアドバイスされたのです。「経営者はメンタルアスリートだ。外野の声に惑わされることなく、自分の信念を貫けばいいんだよ」と。この言葉はその時の私に響きました。三木谷社長に比べて、私はまだまだ未熟だなと。同時に、自分の周りにそんなアドバイスをいただける 経営者がいることのありがたさが身に染みました。自分の信念。それは、21世紀を代表する会社を創ることでした。ここでキレたら終わりだ。耐えしのごう。固くそう決意したのです。

トップ

お気に召したらシェアおねがいします