第164回 株式会社Cerevo 岩佐琢磨

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

第164回
株式会社Cerevo
代表取締役
岩佐琢磨 Takuma Iwasa

1978年、奈良県生まれ、京都育ち。立命館大学大学院情報理工学研究科修了。「ネット×家電」の商品開発を志し、2003年、松下電器産業(現パナソニック)入社。eネット事業本部に配属され、デジタルカメラの「LUMIX」、レコーダーの「DIGA」などのネット対応家電の商品開発に携わる。2007年、約5年間勤務したパナソニックを退職し、ハードウエアベンチャー・株式会社Cerevoを設立。代表取締役に就任。ネットとソフトとハードを融合させた、ユニークな製品企画・開発・販売をスタート。同社のプロダクトである、手のひらサイズの小型映像配信機器「Live Shell」と「Live Shell PRO」は、2013年11月現在、世界21カ国で販売。現在も、秋葉原本社を拠点とし、11人の社員たちと世の中を変えるようなプロダクトを考案、開発し続けている。

- 目次 -

ライフスタイル

好きな食べ物
水炊きです。

言わずと知れた、鶏肉、野菜などの食材を煮込んだ、シンプルな鍋。昔から、水炊きが好物です。

趣味
車とサバゲーです。

サーキット走行と、レーシングカートですかね。昔はまっていたサバイバルゲームも、最近現役に復帰しました。

行ってみたい場所
ドイツとベルギーです。

ドイツのニュルブルクリンク旧コースと、ベルギーのスパ・フランコルシャン・サーキット。どちらも僕の憧れのサーキットです。一度でいいから、これらのコースを走ってみたいんです。

世界21カ国で自社プロダクトを販売する、
日本を代表するハードウエアベンチャー

 大手企業にはつくりたくてもつくれない製品がある――。大手家電メーカーに勤務したことで、その原理原則を知ったという岩佐琢磨氏。彼が同社を退職した2007年頃、ハードウエアベンチャーを取り巻く周辺環境が急速に整いつつあった。そして、起業。ネット×ソフト×ハードのものづくりで世の中を変えることを志し、株式会社Cerevoの経営に乗り出した。「ぜひ、ユニークなものをつくりましょう。僕はやっぱり、無から、ゼロから1をつくり出したい。どうせなら世界でここにしかないものをつくりたいじゃないですか」。今回はそんな岩佐氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<岩佐琢磨をつくったルーツ1>
人と同じことを嫌うあまのじゃくな少年。
人よりも上になれる分野を選びながら遊ぶ

 生まれたのは兵庫でしたが、2歳の時に奈良に転居し、その後はずっと京都で育ちました。父は情報システム系の仕事に携わるサラリーマンで、専業主婦の母に4つ下の弟。そんな4人家族の、いわゆる典型的な日本の中流家庭だったと思います。昔から僕は、なぜだか人と同じことをすることが嫌いな子どもでした。例えば小学生の頃、ミニ四駆というおもちゃが全国的に流行っていて、最初は自分もやってみるのですが、だんだんつまらなくなる。周りと同じ流行に乗っかっている自分が、何だか癪に思えてくるんですね(笑)。それで自分一人、電動ラジコンカーで大人たちと遊ぶようになりました。

 その後の僕の趣味は、大体そんな感じで決まっていきます。メディアが大きく煽る遊びは、何だか大人の商業ベースにはめられている気がして反発しちゃうんですよ。もうすでに多くの参加者が集まっている分野の中で、一番になることって難しいでしょう。アーケードゲームのストリートファイターIIが流行っていた頃には、僕はPC98でメインメモリの空き領域を詰める設定を突き詰めて楽しんだり、英語や国語といった全国の同級生が取り組む勉強よりも、ミリタリーグッズ、エアガン、軍事用航空機の知識収集にはまったり。大きくはないけれど自分が興味を持てるコミュニティを探し、簡単に「よく知っている人』になれる分野を選びながら遊ぶようになっていきました。

 世論やメディアに煽られることなく、勝てそうな分野を自分で選んで、好きを貫き続ければ、その分野の知識と力がついてくる。イコール、一番になりやすい。自分よりずっと年上の人に、「君は軍事用航空機のことをすごくよく知ってるね」なんて、ほめられたりする。すると、自分が取り組んでいることがもっともっと面白くなる。もちろんまだまだ、井の中の蛙ということはわかっているんですけど。ただ、小さなことでもいい、何かを成し得た際の成功体験って、自分の持っているポテンシャルや可能性を自らが認識できる瞬間です。後になって気づくのですが、僕が小さな頃からやっていたことって、競争社会を勝ち抜くための効率的な戦術であり、戦略だったんですよね。

<岩佐琢磨をつくったルーツ2>
将来の夢はパイロットか? 航空機開発者?
どちらの夢も断念し、推薦枠で大学進学

 スポーツはからきしというか、まったく興味が持てませんでした。サッカーのフィールドプレーヤーが11人ということも、つい最近、ゲームタイトルの「ウイニングイレブン」の“イレブン”というワードに気づいて知ったくらいです(笑)。勉強は、小学生まではけっこうできたんですよ。両親から、「中高一貫の進学校に行けば、高校受験をしなくて済む。だから、今だけは勉強を頑張りなさい」と言われ、塾に通って真面目にやっていましたから。結果、西大和学園中学校・高等学校に合格し、進学。昔はそこまでではなかったですが、今や、関西で灘高や東大寺に次ぐ、東大合格者数を誇っています。で、中学に上がってからは、ほとんど勉強しなくなりました。小学生の頃、両親から言われた「今だけ」を忠実に守ったのです(笑)。

 では、何をやっていたか? コンピュータのプログラミング、PCゲーム、パソコン通信、それに加えて、相変わらず、ミリタリーや軍事用航空機などの趣味三昧です。そして中・高ともに、放送部に所属し、高校では部長を務めました。高校の文化祭では、視聴覚室の天井にぶら下がっているモニターをすべて外して、校内のさまざまな場所に設置。みんなで配線を巡らせて、自分たちで制作した番組をモニターに流したり、公演前の演劇部の生徒に突撃インタビューしたり。あれはいい思い出です。また、高校にはパソコン部がなかったので、顧問になってくれる先生を探して、同好会を立ち上げたり。そうやって6年を楽しく過ごし、高校3年になった頃、ようやっと一般人が使えるようになってきた初期のインターネットに触れました。ものすごい衝撃を受けたことを覚えています。

 振り返れば、中学時代の夢は戦闘機のパイロット。でも、視力が悪いとなれないことを知り、断念。そして高校時代、宇宙機や飛行機の開発者になりたいと思ったのですが、遊んでばかりで成績は下から数えたほうが早い体たらく……。そこから勉強しても、レベルが高すぎて、航空工学科のある有名大学への進学は無理でした。それで結局、西大和学園に豊富に届いていた私立大学の推薦枠の中から、コンピュータおよびパソコン関連が学べる学部を探してみたのです。そして、立命館大学の理工学部(現・情報理工学部)に進学することを決定。親元から離れ、一人暮らしを満喫する、僕の大学生活が幕を開けました。

<趣味三昧の6年間>
ニッチであっても、極めれば仕事になる――。
ビジネスにおける一つの大切なアプローチ

 大学時代も授業そっちのけで、趣味生活にどっぷり浸かっていました。いろいろやっていましたが、例えば、フライトシミュレーションゲームのノウハウをアップする個人ホームページの運営とか。そんなサイトは希少で、おそらく当時で、同様のものは10サイトくらいしかなくて、そのうち半分は更新されず放置されていたり。そんな中、コツコツ更新し続けていると、東京の大手出版社からいきなり、「フライトシミュレーションゲームの記事を書いてみませんか」というメールでのオーダーが。そして引き受けて書いたその記事が読者から評判となり、連載コラムに昇格。自分ではニッチだと思ってやっていたことが、認められ、仕事になって原稿料までいただけるように。ニッチであっても、極めれば仕事になる――。ビジネスにおける一つの大切なアプローチ手法を、自らの行動から学んだのです。

 その話を聞いた母は驚いていました。「一度も会ったことがない人からインターネットで仕事を頼まれ、原稿を送ったらお金が振り込まれる? 何か怪しいビジネスなんじゃないの?」と(笑)。なんにせよ、小学生時代のあまのじゃくから始まった僕の反メジャー、賛ニッチは意外と間違ってなかった。このライター仕事を通じて、ニッチな分野でも何とか生活できることが知れたし、大学時代に稼いだバイト料の半分くらいは、これで稼いでいましたから。車にもはまりましたが、当時、大学生の間で流行っていたのはワンボックスカー。でも、僕が選んだのは、レビンなどの走り屋仕様の車です。自分でチューンナップして峠を攻めたり、ネットで知り合った仲間とチームを組んで草レースに出場したり。あと、事故車を安く仕入れて解体し、ヤフオクで希少部品を売るなどしてお小遣いを稼がせてもらいました。

 そうやって趣味と実益を兼ねた遊びをしつつ、インターネットに触れていたかったので、小さなベンチャー企業でWebサイト制作のバイトもこなしていました。例えば、某大手企業のサイトの企画、コーディング、運用まで、かなり本格的な仕事に携わらせてもらいながら。ただ、この頃に、大きな決断をしています。ある日、バイト仲間内で誰も使ったことがないOS、知らない言語を使って、複数人で開発を始めることになりました。その結果、仲間の中で僕が飛び抜けて習得が遅い……というあまりにも無残な現実を知ってしまいました。その時に、僕は、今後、プログラミングで勝負しないことを決めた。その代わり、「こうつくれば、もっとよくなる。もっと売れる」といった、エンジニアに指示を出す側、つまり商品企画・マーケティング側になろうと。今思えばこの決断は、僕のその後の人生にとって、かなり大事なポイントとなっています。

<大手家電メーカーへ>
希望した職場で会社員生活をスタートするも、
本当につくりたいものがつくれない……

 好きなことをやり、気ままな一人暮らしと、贅沢ではないけれどいろいろ遊べる大学生活をもっと続けたくて(笑)、博士課程に進むことを決めました。その頃から、将来はどういう方向で生きていこうか真剣に考え始めたのですが、やはりその中心にあったのはインターネット。ネットは今後どのように進化して、どのように世の中を変えていくのか――どうせやるなら、ネットを使った面白いことで、できるだけ早くエポックメイキングな仕事に携わりたい。僕が大学院に進んだ当時、父は定年退職まであと10年を切っていて、それを自分に置き換えてみると、全力で働けるのは30年しかありません。それに気づいて正直、焦りました。ただ、僕が就職活動を始めた2002年には、すでにネットサービス系・ネットインフラ系ビジネスのキープレーヤーは出そろってしまっていたんですね。

 そこで、ネットと何かを組み合わせたビジネスはないかと、自分が好きな航空機×ネット、車×ネットを考えてみました。でも、航空機や車は法律の壁もあってイノベーティブな商品の完成、製品化までには長い年月がかかりますから、ネットの進化スピードに合いません。しかし当時、家電はやっとネット家電という言葉が出始めた頃で、しかも製品開発のスパンは1、2年。家電業界であれば、全力で働ける30年間をかけて、たくさんのチャンスがつくれそうです。そして、「ネット家電の商品企画だけをやりたい。その仕事に就かせてくれるなら」と、いくつかの家電メーカーの面接を受けました。そんな中、パナソニックの人事担当者の方が、僕を高く買ってくれた。「君が希望する部署・職種を用意したら、必ずうちに来ると約束してくれるか?」と。結果、その方が希望どおりの仕事ができるよう調整してくださり、僕はパナソニックへの入社を決めました。

 パナソニックでは、デジタルカメラとネットをつなぐ仕組み、携帯を使ってTV録画機を遠隔操作する仕組みなどを考え、要件設定や機能設計をしつつ、それらをうまくユーザーに利用してもらうための専用サイトの設計も担当していました。会社員時代の仕事は大きくは2つで、レコーダーの「DIGA」に対応した「DiMORA」、デジタルカメラの「LUMIX」に対応した「PicMate」の企画から運用までにかかわっています。ネット×家電で世の中を変えるような、新しくてユニークな商品をつくる――。そんな思いで仕事に従事していたのですが、他メーカーの方々にも話を聞くなどして考えた結果、自分が本当につくりたいものは大企業ではつくれないことが、明白になってきたのです……。

次週、「グローバルニッチ戦略で世界に挑むハードウエアベンチャーの挑戦」の後編へ続く→

 



ネット×ハードウエアで挑むイノベーション。
ゼロから1をつくりだし、世の中を変える

<起業>
全ステークホルダーがかかわって進める
一つのプロジェクトであり、運命共同体

 “少品種・大量生産”が基本の大手家電メーカーでは、僕がつくりたいようなユニークでニッチな製品はつくれない。ほかの大手メーカーに転職してもそれは同じだということもわかりました。ふんわりと、自分で起業してやる方向もあると思っていたら、徐々にハードウエアベンチャーに対する周辺環境が整い始めた。例えば、組み込み用のオープンソース・ソフトウェアが使えるようになり、複雑なソフトを以前よりも安く早く開発できるようになった。小ロットでも製造を請け負ってくれるEMS業者が増えてきた。ハードウエアベンチャーを支援するベンチャーキャピタルが出てき始めた。SNSが普及して、人材採用もやりやすくなった。ECインフラの発展で、世界に向けて直販ができるようになった、などなど。どうやらゼロから始めてもいけそうだと本気で考え始めたのが、2006年後半から2007年の初頭にかけてでした。

 そこから本格的に動き始め、ネットを通じて、ハードウエアベンチャーを支援するインキュベーターに出会います。彼らは僕が持っていない資金や人脈を持っていて、その支援があれば確実に成長スピードと成功確率が高まると踏み、起業を決断。そうして約5年間お世話になったパナソニックを退職し、2008年1月から、株式会社Cerevoの経営を本格的に開始します。最初につくる製品は決めていました。無線LANを搭載したデジタルカメラです。そうはいっても、先立つ資金が潤沢ではなかったので、起業してからの約1年間は、開発準備を進めつつ、Blogやツイッターを使いまくってCerevoの存在を積極的にPRしながら、投資家探しに奔走しました。結果、リーマンショックが想定外のハードルとなりましたが、2009年1月、何とか1億200万円の第三者割当増資を実施することができたのです。

 ちなみに、今から2年ほど前にも2億5000万円の第三者割当増資を実施しています。だから、僕の持ち株シェアはそう厚くはない。でも正直、会社がこのまま成長し、何らかのかたちでエグジットし、キャピタルゲインで大儲けをする、ということが主目標ではないのでいいのです。それよりもユニークな製品開発をし続けて人々の生活をもっと便利に・豊かにすることが大事。例えば、僕の持ち株シェアが少なくなって、投資家など大株主からクビを言い渡されたとしましょう。Webサービスやアプリの会社なら国内に100社以上あるから、社長を誰かにすげ変えるという選択肢も使える。でも、Cerevoのような会社を経営している経営者ってほかにいないのです。クビになっても、僕は新たにネット×ハードウエアをつくる会社を設立して、同じことをやるだけ。そういった意味でCerevoは、僕を含めたすべてのステークホルダーがかかわって進めている一つのプロジェクトであり、運命共同体といえますね。

<家電だけにこだわらない>
ハード×ソフト×ネットワークが織りなす、
多彩な分野のプロダクトを展開していく

 そしてCerevo最初のプロダクトである、無線LAN搭載のデジタルカメラ「CEREVO CAM」をリリースしたのが2010年の1月。撮った写真は転送ボタンを押さずとも、全自動でクラウド上にアップされ、しかも、カメラ単体でUstreamなどへのライブ配信ができる世界で初めてのデジタルカメラです。実は、リリース時点で動画撮影はできませんでしたが、ハードウエアに動画撮影ができる仕組みを組み込んでいました。そして、発売して5カ月後に、動画撮影のソフトウエアをリリース。ユーザーはカメラをネットにつなげアップデートするだけで、カメラを買い替えることなく動画が撮れるようになった。これがハードとネットとソフトを融合させた、家電の新しいかたちのひとつ。この手法は今ではもう当たり前になりましたけどね。ちなみに「CEREVO CAM」は絶版となっていますが、今なお「購入したい」という声が届くことがあります。

 

 僕たちはソフトウエアももちろん開発しますが、ハードウエアとネットワークを介したひとつのシステムをつくっているのです。だから、iPhoneアプリ1本100円、パソコンアプリ1本1万円みたいなものはいっさいやらない。「CEREVO CAM」以降、ネット連携機能を搭載した「Alarm BRICK」、スマートフォンと連携して離れた位置からデジタル一眼レフのシャッターが切れる「Smart Trigger」などのプロダクトをリリースしてきました。そして今、Cerevoのプロダクトの中で、グローバルでもっとも売れているのが、手のひらサイズの小型映像配信機器「Live Shell」と「Live Shell PRO」です。これをビデオカメラにケーブルでつなぎ電源を入れさえすれば、高画質・高音質のUstreamライブ配信が誰でも簡単にすぐに実現できます。

 

 そして今年の頭に発表したのが、スマート電源タップ「OTTO(オットー)」。これは、一見して電源タップとは見えず、リビングルームのどこに置いても、インテリア・アイテムとして成立するデザインを施したプロダクトです。携帯ゲーム機、携帯電話にスマートフォン、タブレットなど、充電器で乱雑になりがちなコンセント事情を美しく整理してくれます。筺体内に隠れている8個すべての差込口は、ネット経由でON&OFFが可能。うち2つの差込口に照明器具を接続すると、手元のスマートフォンで自在に明るさを調整できます。これに続き、この11月、幕張メッセで開催された「Inter BEE 2013」で、タブレットから操作できるライブ配信機能搭載HDスイッチャー「LiveWedge」を発表。どちらのプロダクトも、予想以上の問い合わせをいただいています。

<未来へ~Cerevoが目指すもの>
大手企業がつくれない、世の中を変えるような
ユニークで新しい“ものづくり”を続けていく

 何かを好きな人……そうですね、仮にオープンカーが心の底から好きな人だとしましょう。その人が、思い入れのあるプロダクトをつくったとします。その人のオープンカーに対する思いに本気で共感した人は、そのプロダクト、例えばオープンカー専用カーステレオを、きっと買ってくれるんです。これがメジャーなジャンルになればなるほど、買ってくれる可能性がある人のパイが広がります。が、同時に、競合商品、類似商品が出てくる可能性もどんどん高まります。逆に、求められるプライスレンジもどんどん下がっていく。オープンカー専用ではなくて、どんな車でも使えるようなカーステレオをイメージしてもらえるとわかりやすいと思います。また、メジャーなプロダクトであればあるほどPRも難しい。例えば、「歯ブラシを改革したぞ」といっても、みなさんもうそれなりに満足して既存の歯ブラシを使っていますから、興味喚起が難しい。そうではなくて、ある特定の分野。例えば、スノーボードをやる人たちだけが使う、新しい画期的なツール。それであれば、スノーボーダーに簡単に情報を伝えることができそうでしょ。

 

 Cerevoは11人という少人数体制だけど、ある特定の分野の人たちがのどから手が出るほど欲しいものをつくって売る。しかも広告費は限りなくゼロに近く、口コミと展示会への出展だけで。それが僕たちのやり方です。グローバルニッチと呼んでいますが、世界のすべての国で100台ずつしか売れないプロダクト。それでもいい。ただし、世界のすべての国で売れるようなものをつくる。そんなアプローチなのです。単純計算の皮算用ですが、100カ国で10台ずつ売れれば1万台売れるわけですよね。「Cerevoさんの製品、国内で何台売れているんですか?」「100台です」だと鼻で笑われますが、「でも100カ国で売れているんです」と言ったら、みなさん絶対に驚かれるはず。「ほう、1万台も、ですか」と。これは極端な例えですけど(笑)。ただ、実際にはうちのプロダクトは国内だけで何千台も売れていたりしますが。

  

 ちなみに現在、「LiveShell」「LiveShell PRO」は米国・インド・韓国をはじめとした世界21カ国で販売中です。当社のプロダクトは、他国の言語や文化にあまり依存しないため、思った以上にグローバル展開しやすいという感触を得ています。また、これほど多くの国々から「Cerevoのプロダクトを売りたい」という声が届くということは、うちのような思想のプロダクトをつくっている会社は世界でも希少ということ。そういった意味で、まだまだ大きな可能性があると思っています。今後もCerevoは、「ネット×家電で生活をもっと便利に豊かにする」をミッションとして、大手企業がつくれない、世の中を変えるようなユニークで新しい“ものづくり”に挑戦し続けます。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
ゼロから1となるプロダクトをつくろう。
今、この業界には追い風が吹いている

 今、ハードウエアベンチャーにとって、非常に強い追い風が吹いています。Cerevoがスタートして5年ですが、この間だけでも我々を取り巻く環境はものすごく進化しているのです。ものにもよりますが、最低製造ロット数でいえば10年前に1万個だったのが、今では1000個でOKになるなど、すごく少数であっても、かなりリーズナブルにつくってもらえるようになったんですね。昔はマイナーなものの値段って、メジャーなものの10倍とかしていました。今ではその状況がどんどん変わってきていて、マイナーなものは確かにメジャーなものより割高だけど、1.5倍か2倍くらいであって、10倍はしない。ちなみに、プロのカメラマンが使う三脚ストロボなど、メカ部品、機構部品だけでつくられているものであれば、10年前に比べておそらく10分の1の値段で買えるようになっています。

 ユニークなものをつくりましょう。誰かがつくっているものを、ちょっと変えるとか、それが使いやすいんだ、カッコいいんだとかでもいい。それも正だと思いますし、否定もしません。でも、僕はぜひ、無から、ゼロから1をつくり出したい。どうせなら世界でここにしかないものをつくりたいじゃないですか。もうひとつ、世界はすごくフラットになってきているので、国内市場だけではなく世界の市場をあまねく見て、ビジネスを考えるといいと思います。日本で売れるものって、海外でも求められるものが多いですから。洋服であっても、ソフトウエアであってもいいと思いますが、必ず世界のどこかにそのプロダクトを欲している人はいると思います。

 50インチ画面のテレビの次に52インチをつくるとか、そういう正常進化は誰でも考えることができます。特に、大企業は失敗の可能性が少ないものを選ぶから、バージョンアップ、マイナーチェンジを積み重ねる傾向にある。周りの人に否定されても、理解されなくても、「この人たちは必ず買ってくれる」。そんな、ゼロを1にするような製品を考え続けていくと、突破口が開けるのではないでしょうか。小さな特定の分野にいる人が欲しいと思うものがある。それを突き詰めてつくって売る。このやり方は、時代が変わっても普遍です。繰り返しになりますが、ハードウエアベンチャーを取り巻く環境は追い風が吹いていますし、投資対象としてもハードウエアベンチャーは今、ホットなポジションにあります。メーカー勤務の方々にとって、起業という選択肢も大いにありだと思います。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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