第164回 株式会社Cerevo 岩佐琢磨2

世界21カ国で自社プロダクトを販売する、
日本を代表するハードウエアベンチャー

 大手企業にはつくりたくてもつくれない製品がある――。大手家電メーカーに勤務したことで、その原理原則を知ったという岩佐琢磨氏。彼が同社を退職した2007年頃、ハードウエアベンチャーを取り巻く周辺環境が急速に整いつつあった。そして、起業。ネット×ソフト×ハードのものづくりで世の中を変えることを志し、株式会社Cerevoの経営に乗り出した。「ぜひ、ユニークなものをつくりましょう。僕はやっぱり、無から、ゼロから1をつくり出したい。どうせなら世界でここにしかないものをつくりたいじゃないですか」。今回はそんな岩佐氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<岩佐琢磨をつくったルーツ1>
人と同じことを嫌うあまのじゃくな少年。
人よりも上になれる分野を選びながら遊ぶ

 生まれたのは兵庫でしたが、2歳の時に奈良に転居し、その後はずっと京都で育ちました。父は情報システム系の仕事に携わるサラリーマンで、専業主婦の母に4つ下の弟。そんな4人家族の、いわゆる典型的な日本の中流家庭だったと思います。昔から僕は、なぜだか人と同じことをすることが嫌いな子どもでした。例えば小学生の頃、ミニ四駆というおもちゃが全国的に流行っていて、最初は自分もやってみるのですが、だんだんつまらなくなる。周りと同じ流行に乗っかっている自分が、何だか癪に思えてくるんですね(笑)。それで自分一人、電動ラジコンカーで大人たちと遊ぶようになりました。

 その後の僕の趣味は、大体そんな感じで決まっていきます。メディアが大きく煽る遊びは、何だか大人の商業ベースにはめられている気がして反発しちゃうんですよ。もうすでに多くの参加者が集まっている分野の中で、一番になることって難しいでしょう。アーケードゲームのストリートファイターIIが流行っていた頃には、僕はPC98でメインメモリの空き領域を詰める設定を突き詰めて楽しんだり、英語や国語といった全国の同級生が取り組む勉強よりも、ミリタリーグッズ、エアガン、軍事用航空機の知識収集にはまったり。大きくはないけれど自分が興味を持てるコミュニティを探し、簡単に「よく知っている人』になれる分野を選びながら遊ぶようになっていきました。

 世論やメディアに煽られることなく、勝てそうな分野を自分で選んで、好きを貫き続ければ、その分野の知識と力がついてくる。イコール、一番になりやすい。自分よりずっと年上の人に、「君は軍事用航空機のことをすごくよく知ってるね」なんて、ほめられたりする。すると、自分が取り組んでいることがもっともっと面白くなる。もちろんまだまだ、井の中の蛙ということはわかっているんですけど。ただ、小さなことでもいい、何かを成し得た際の成功体験って、自分の持っているポテンシャルや可能性を自らが認識できる瞬間です。後になって気づくのですが、僕が小さな頃からやっていたことって、競争社会を勝ち抜くための効率的な戦術であり、戦略だったんですよね。

<岩佐琢磨をつくったルーツ2>
将来の夢はパイロットか? 航空機開発者?
どちらの夢も断念し、推薦枠で大学進学

 スポーツはからきしというか、まったく興味が持てませんでした。サッカーのフィールドプレーヤーが11人ということも、つい最近、ゲームタイトルの「ウイニングイレブン」の“イレブン”というワードに気づいて知ったくらいです(笑)。勉強は、小学生まではけっこうできたんですよ。両親から、「中高一貫の進学校に行けば、高校受験をしなくて済む。だから、今だけは勉強を頑張りなさい」と言われ、塾に通って真面目にやっていましたから。結果、西大和学園中学校・高等学校に合格し、進学。昔はそこまでではなかったですが、今や、関西で灘高や東大寺に次ぐ、東大合格者数を誇っています。で、中学に上がってからは、ほとんど勉強しなくなりました。小学生の頃、両親から言われた「今だけ」を忠実に守ったのです(笑)。

 では、何をやっていたか? コンピュータのプログラミング、PCゲーム、パソコン通信、それに加えて、相変わらず、ミリタリーや軍事用航空機などの趣味三昧です。そして中・高ともに、放送部に所属し、高校では部長を務めました。高校の文化祭では、視聴覚室の天井にぶら下がっているモニターをすべて外して、校内の様々な場所に設置。みんなで配線を巡らせて、自分たちで制作した番組をモニターに流したり、公演前の演劇部の生徒に突撃インタビューしたり。あれはいい思い出です。また、高校にはパソコン部がなかったので、顧問になってくれる先生を探して、同好会を立ち上げたり。そうやって6年を楽しく過ごし、高校3年になった頃、ようやっと一般人が使えるようになってきた初期のインターネットに触れました。ものすごい衝撃を受けたことを覚えています。

 振り返れば、中学時代の夢は戦闘機のパイロット。でも、視力が悪いとなれないことを知り、断念。そして高校時代、宇宙機や飛行機の開発者になりたいと思ったのですが、遊んでばかりで成績は下から数えたほうが早い体たらく……。そこから勉強しても、レベルが高すぎて、航空工学科のある有名大学への進学は無理でした。それで結局、西大和学園に豊富に届いていた私立大学の推薦枠の中から、コンピュータおよびパソコン関連が学べる学部を探してみたのです。そして、立命館大学の理工学部(現・情報理工学部)に進学することを決定。親元から離れ、一人暮らしを満喫する、僕の大学生活が幕を開けました。

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