第160回 ビーサイズ株式会社 代表取締役社長  八木啓太

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

第160回
ビーサイズ株式会社
代表取締役社長
八木 啓太 Keita Yagi

1983年、山口県宇部市生まれ。高校から家族で関西へ。小学生時代から、「ものづくりをする大人になりたいと」考えていた。その後、Apple、Dyson、Bang & Olufsen などのコンセプト家電製品に憧れ、テクノロジー・社会貢献・デザインを軸にメーカーを志すように。2004年3月、大阪大学工学部電子工学科卒業。2007年3月、同大学院電子工学専攻修了。大学時代から独学でデザインを学び、コンテストで受賞を重ねるなど腕を磨く。2007年4月、富士フイルムに入社し、医療機器の筐体設計に従事。2011年1月末、27歳で富士フイルムを退社し、個人事業主に。同年9月、ビーサイズ株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。同年12月、最初の製品であるLEDデスクライト「STROKE(ストローク)」を発売(グッドデザイン賞、独red dot design awardを受賞)。2012年秋、「ガイアの夜明け」で、“一人家電メーカー”として紹介され話題となる。2013年、社員1名が入社し、二人体制となった。

- 目次 -

ライフスタイル

好きな食べ物
思い浮かびません(笑)

食べ物にまったく無頓着なんです。ただ、小田原は新鮮な魚や野菜が豊富に取れる土地柄なので、とても素晴らしいですね。

趣味
ものづくりです。

好きが仕事になったタイプですね。ただ、煮詰まった時は歩いて3分の海岸まで行って散歩しています。大きな海を眺めて「きっと1000年前の人が見ても同じような姿だったろうな」などと考えると、視野が広がりますね。

行ってみたい場所
ニューヨークとドバイですね。

今後、「STROKE」が東京青山と、ニューヨーク、ドバイのレクサスショールームで販売される予定です。デザインにうるさい海外の方々が、「STROKE」をどのように評価してくれるのか、肌感覚で見ておきたいと思っています。

ヒット家電を自分一人で企画、設計、製造、販売――。
ハードウェア業起業の常識を覆した若手起業家の挑戦

外径15ミリのスチールパイプを曲げ加工しただけのシンプルかつ斬新なデザイン――。価格は3万9900円と少し高価だが、2011年12月の発売から1年半で、すでに累計1000個強が売れている。それが、“省電力、長寿命”&“最高の光、最小の構造”をコンセプトとしたLEDデスクライト「STROKE(ストローク)」。この製品を一人でつくり、販売しているのが、ビーサイズ株式会社の代表・八木啓太氏である。昨年放送の「ガイアの夜明け」で、“一人家電メーカー”として紹介され、一躍話題の人となった。「僕は独立・起業をまったく目標としていませんでした。それはあくまでも方法論でしかない。それよりも、『自分は何を実現したいのか?』、心と本音でしっかり相談して、それを明確にすることのほうが大切です」。今回はそんな八木氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<八木啓太をつくったルーツ1>
将来、絶対に“ものづくり”に携わる
大人になると決めていた少年時代

 生まれた場所は山口県の宇部市です。両親は関西出身ですが、父が教育学の大学教授で、当時、家族はその赴任先の宇部で暮らしていたんですね。ちなみに、僕は7人きょうだいの次男で、上から、兄、姉、僕、下に妹が4人。今どきめずらしい大家族でしたが、全員が控えめな性格というか、引っ込み思案というか――(笑)。大騒ぎや大げんかするわけでもなく、「うるさくしてはダメだ」とわきまえていたから、意外と静かな家庭環境でした。僕は友だちと野球やサッカーをやったり、近くの山に探検に出かけたり、外で遊ぶことも多かったのですが、一人の時間ができると、ものづくりに没頭していました。コンピュータにオーディオ、車など、機械いじりが趣味の父の影響が大きかったと思います。

 学校の勉強はやるべき理由が見いだせずそれほど好きになれませんでしたが、自分でつくりたいと思ったものに関する知識・ノウハウは自ら進んで専門書や雑誌などで徹底的に調べるんです。本気でやりたい理由が明確であれば、学びのモチベーションがいっきに高まる、そんな子どもでした。最初につくったものが何か覚えているか? 段ボール箱に穴を空けて、そこを押すと九九の答えがでてくるという暗記ツールだったと記憶しています。ただ、2とか3の段のかけ算が完成するころには、九九をすべて記憶してしまっていて、暗記ツールの意味がなかったんですけど(笑)。

 その後も、夏休みの工作で、父に手伝ってもらいながら、簡単なソーラーカーやリニアモーターカーなどもつくりました。完成させた作品を見せると、家族は「すごい!」ってほめてくれるし、休み明けの学校で友だちに貸してあげると嬉々として遊んでくれました。自分の手でつくったものを、誰かが評価してくれる、喜んでくれることに、大きな満足感と達成感を持ったことを覚えています。その頃にはもう、将来は絶対に“ものづくり”に携わる大人になると決めていました。ちなみに、当時憧れていた具体的な職業としては、テレビのドキュメンタリーで見た、陶芸家や刀工です。職人が火の前で鉄を叩きながら、美しい刀に仕上げていく姿を見て、「かっこいい!」と。

<八木啓太をつくったルーツ2>
父が買ってきたiMacの初期モデルに衝撃を受ける。
自分もいつか、こんなコンセプト家電をつくりたい!

 また、父はアップルコンピュータのユーザーで、小学2年の時に、僕は自宅にあったマッキントッシュ・クラシックに初めて触れています。最初はお絵描きソフトで遊ぶ程度でしたが、専門雑誌を読みながら、徐々にプログラミングを覚えていきました。つくるのはだいたいゲームでした。自作のソフトをパソコン雑誌に投稿して、掲載されたこともありましたね。それはそれで面白かったのですが、やはり、ゲームのキャラクターが動くのはディスプレイの中のバーチャルな世界。僕としては、現実な“もの”として目の前に存在する、リニアモーターカーなどの工作物を手づくりするほうが断然楽しかった。その感覚は、今もまったく変わっていません。

 地元の公立中学校では、テニス部に入部しました。授業と部活中心の日々を送り、中2になってから高校受験のため塾に通うようになって、どんどんものづくりのために割ける時間が減っていきました。そんななか、父が関西の大学に赴任することになり、まずは父だけが先に単身赴任で関西へ。そして僕は、兵庫県宝塚市の公立高校を受験して無事合格。そのタイミングで家族も関西へ転居して暮らし始めました。

 高校1年の時、僕にとって衝撃的な出合いが訪れます。父が自宅に、iMacの初期モデルを買って帰って来たんですよ。じり貧だったアップルに復帰して、スティーブ・ジョブズが開発、発表した、スケルトンのボンダイブルーの筐体――。しかも、デザインがこれまでのパソコンと思えないほど斬新で、かつ、コードをつなぐだけで、簡単にインターネットに接続できる。iMacを一目見た時に、「これは宇宙から送られてきたコンピュータなのでは?」くらいの衝撃を受けました。世の中の価値観を変えるとはこういうことか!と。そしてすぐに、自分もいつか、こんなコンセプトの家電をつくってみたい! そう強く思い始めたんです。

<電子専攻が機械をつくる?>
大学で電子回路設計を、独学でデザインを学ぶ。
そして機械設計を学ぶため富士フイルムへ就職

 それから1年くらいかけて、世界のローテク、ハイテク家電をリサーチ。そして、家電をつくるためには、電子工学、機械設計、デザインと、3つの分野の勉強がわかってきました。でも、すべてを教えてくれる大学はないわけです。そこでまずは、電子工学を学べる大学に進学することから始めました。電子回路設計ができなければ、エレクトロニクス製品はつくれませんからね。また、2000年当時はITバブルが訪れており、この分野を学んでおけば食いっぱぐれることもないだろういう考えも(笑)。そして大阪大学の工学部に合格し、電子回路設計を習得する日々が始まりました。そして、大学の授業を終え自宅に帰ってからは、独学でデザインの勉強です。

 デザインの歴史を調べたり、雑誌や専門書を読んでCGのノウハウを習得したり、美術館を回ったり、建築物を撮影したり。また、月に2回ほどの頻度で、作品を公募しているさまざまなデザインコンテストに応募していました。もちろん、最初は落選続きでしたが、何度も挑戦するうちに、いくつかの賞にひっかかるように。生活を革新することをテーマとした、ダイソンのデザインアワードで、僕が考えた「発電する靴」が表彰されたこともありました。基本的に落選してもその理由は教えてくれません。自分のデザインは何が足りなくて、どこが評価されるポイントなのかを客観的に探っていく――果てしないテニスの壁打ち練習のようですが、自分が本気でやりたいことですから、時間を気にせず没頭できるし、デザインを学ぶうえで、とてもいいやりかただったと思っています。

 学生時代からとにかく、早く社会に出たいと思っていました。最後の大学院の2年間は、回路設計を学ぶうえで非常に有意義な時間となりました。電子工学を学び、デザインを独学する6年間を終え、世の中で戦える自信も生まれ、いよいよ就職活動となるわけです。しかし、学んできた電子でもデザインでもなく、機械設計の担当を希望しました。製品をつくるには、まだ機械設計を学ぶ必要があるからです。同じ工学でも、電子と機械は、陸上競技と水泳競技くらいの違いがあります。電子工学専攻の僕は専門外ということで、いくつもの会社から門前払いされました。そんななか、富士フイルムが、最初に僕を拾ってくれたんです。後になって人事に内定を出してくれた理由を聞きました。「おかしな奴だと思ったが、あまりにやりたいというから、そのモチベーションにかけた」と(笑)。

<3本の矢がそろう>
つくりたい具体的な製品イメージが固まり、
スティーブ・ジョブズの言葉に背中を押され、起業

 念願の機械設計の仕事に就きましたが、機械工学を専攻してきた同期とド素人の僕のレベルは段違いです。当初は、ボルトとナットの違いすらわかりませんでした(笑)。機械設計の知識をキャッチアップするために必死で勉強しながら、現場で先輩にみっちりしごいてもらいながら、仕事を続けました。当時はちょうど、アナログの医療機器がデジタルに切り替わり始めたタイミングで、仕事量が非常に多かったんですね。それも僕にとってはラッキーでした。人が足りないこともあって、若手でも設計から試作、製造、量産体制までたくさんの仕事が与えられ、ものづくりの一連のプロセスに携わることができた。また、医療機器は、人の命にかかわる装置なので、社会に貢献できる仕事をしているといった充実感もありました。

 また、医療機器には多岐にわたる品質基準が定められています。他の製品と比べ、厳しい品質保証の手法を学べたことも大きかった。そして入社3年目に入った頃、電子回路設計、デザイン、機械設計という、ものづくりに必要とされる3つのパーツが一本につながったと感じたのです。富士フイルムの外に出ても、一人でものづくりのビジネスができるのでは、と。ちょうどその頃、取引先の電子部品商社から、「対象物が持つ本来の色を正確に再現してくれるLEDモジュールを、手術灯にどうか?」という打診がありました。結局、会社としては採用しませんでしたが、僕はこのLEDライトがいたく気に入った。それで、このLEDライトを使ったデスクライトのプロトタイプをつくってみたんです。

 その灯りはとてもやさしく、目が疲れません。「この製品が売られていたら、自分はきっと買うだろう。素直に欲しい」。そう思いました。そうやって、つくるべき具体的な製品イメージが固まり、いろいろ計画を立ててみると、一人で1年間かけて、1000万円あれば何とか販売までもっていけそうです。そして上司に「独立するため退社したい」と伝えました。何度も強く引きとめられましたし、機械のド素人を育ててくれた恩義も感じ、後ろ髪引かれるものもありました。でも、スティーブ・ジョブズの言葉が僕の背中を押してくれた。「今日が人生最後の1日だったとして、今日する予定だったことを本当にしたいか?」。今日が最後の日なら、きっと自分がつくりたい製品をつくるだろう。そして、3年9カ月働かせてもらった富士フイルムを退社。2011年2月、28歳になる直前に起業しました。



“省電力、長寿命”&“最高の光、最小の構造”。
“一人家電メーカー”が世に問うたコンセプト

<起業翌月に大震災>
1000万円の自己資金がどんどん減っていく……。
完成イメージはあるが、協力会社が見つからない

 そうやって、独立したわけですが、製品には自信があっても売れるか否かは五分五分だと考えていました。でも、もしも失敗しても、またどこかの企業に再就職すればいいと。「失敗しても自分のその後のキャリア価値は高まる。どうせやるならできるだけ若いうちに挑戦すべき」。そう考えたのです。幸い家族も僕の決断を応援してくれました。スタートの地は、富士フイルムの研究所があり、4年弱勤務した神奈川県・小田原市です。付き合いのある工場もいくつかありましたし、皆さん、「何か協力できることがあれば手伝うぞ」と言ってくれていましたからね。ちなみに、富士フイルムの仲間たちは、「ひとりでメーカーをやる? 意味がわからない」と、そんな感じでしたが、後日、「製品を売り出した」と報告すると、みんなが購入してくれました。

 前職4年弱の勤務で貯めた1000万円を資本金にスタートしましたが、オフィスの家賃や光熱費はもちろん、試作費用や金型製造などでどんどんお金が減っていきます。起業した翌月には設計図も書き終え、完成イメージが明確になっていたものの、3・11の大震災の影響で、使用する部品商社、協力工場とも「それどころではない!」といった状況に。一人家電メーカーゆえに、サプライチェーン構築が必要不可欠です。いきなり想定外の苦境に陥りました。その後も何社もの企業の門戸を叩き、協力を依頼しましたが断られることが続きました。そんななか、facebookのものづくりコミュニティにたどり着き、僕の熱意に共感していただける協力会社や工場とやっと出合うことができ……。そうやって僕がつくりたい製品に必要な20部品、15社との提携を何とか結ぶことができました。
 
 製品名は「STROKE(ストローク)」。一本の15インチのステンレス製パイプを4カ所曲げただけのとてもシンプルなデスクライトです。まるで一筆書きのようなデザインなので、“一筆”という意味を持つ名前をつけました。デスクライトの本来の役割は、灯りを照らして見たいものに意識を集中できるものだと考えました。だからこそ、やさしいLEDの灯りを主役にし、スタンドは意識から消えてなくなるようにデザインしました。アルミの先端部分がスイッチで、指先で触れると、ふんわりとLEDが灯り、瞬間的な眩しさを抑えます。また、電気代は、毎日6時間使用で、1カ月約40円。LEDは、27年後に明るさが30%だけ暗くなる計算です。「STROKE」は、“省電力、長寿命”、“最高の光、最小の構造”をコンセプトとしたデスクライトなのです。

<ヒットのタイミング>
“一人家電メーカー”を謳い始めて以降、
メディアからの取材がいっきに増えていく

 「STROKE」は、製造に使われる資源を最小限に設計しています。消費電力も少なく、また95%以上が鉄とアルミでできているため、リサイクル性も高い製品です。“つくる時”“使う時”“いつか捨てる時”すべてのライフサイクルにおいて、環境負荷を抑えながら価値を提供できるように設計しています。また、家電をつくって市場に送り出す前には、さまざまな品質保証の問題をクリアする必要があります。例えば、高温多湿の状態で加速試験を行なって、それでも壊れないかどうか? このための専用検査装置を購入すると数百万円かかります。資金も十分ではない中で、中古の肉まんの保温機を数万円で買って改造し、品質保証問題をパスするなど、経費を抑える工夫は何でもしました。設立当初は新幹線の高架そばの事務所で家賃を節約したり、夏は冷房も入れずにやっていたので、体力勝負という感じでしたね(笑)。

 「STROKE」の販売を開始したのが2011年12月27日。最初は100台限定で、注文が入れば、自分一人で部品を組み立て、発送まで行うというやり方です。この時点で、用意していた資金はほぼ底をついていました。ブランディングも販売も、すべて一人でやりましたが、その一環として、いくつかのデザイン賞に応募しました。経済産業省の「グッドデザイン賞」を受賞したのが販売開始前の2011年の10月、もうひとつ、世界的に権威のあるドイツの「レッドドットデザインアワード2012」の受賞が2012年2月。デザイン性と、「STROKE」の製品コンセプトも併せて認められたことがとてもうれしかったですね。

 「STROKE」発売後は友人たちが買ってくれたり、ブログなどで話題になるものの、思ったようには売れません。そんなある日、某メディアの方から「一人でやっていることをもっとアピールすべき」と勧められたのです。実はそれまで、一人でやっていることを隠していました。零細企業と見られ、品質がよくないと思われるのが嫌でしたから。でも、「一人家電メーカー」を打ち出し始めてから、雑誌の取材が増え、NHKの朝の番組で取り上げられ、注文がいっきに増加。そして、2012年の秋、「ガイアの夜明け」で紹介されることが決定します。注文が殺到することは、火を見るより明らかです。この時に、組み立て工程を小田原市内の工場に依頼してファブレス化することにしました。もうひとつ、量産体制構築のための資金調達の必要がありましたが、初年度決算も終わってないタイミングで2000万円の融資を認めてくれた、日本政策金融公庫さんには本当に感謝しています。

<未来へ~ビーサイズが目指すもの>
できるだけ多くの人々の生活を幸せに変え、
今と未来に貢献する社会インフラをつくる

2013年6月現在、販売開始から1年半が経ち、「STROKE」の販売台数は累計で1000台強、今も毎月100台ペースの注文をいただいています。そして昨年の12月、トヨタ自動車さんからコラボレーションのお誘いが届きました。レクサスとコラボするメイド・イン・ジャパンの先進的デザインの家電やカバン、ファッション用品をショールームで販売していく――。それらのコラボ商品の中で家電としては唯一、「STROKE」を選定いただきました。自社の販売戦略としても、海外展開の準備を進めており、また、メイド・イン・ジャパンを世界に発信していくことへ協力したいという思いから、ご協力させていただくことにしました。この夏から、レクサスの青山、その後はドバイ、ニューヨークでの販売がスタートします。当社の海外展開を推進するための、一つの楔(くさび)になってくれることを期待しています。

 今、年内リリース予定で、新製品の開発を進めています。それは、木でつくられたスマートフォンのワイヤレス充電機です。寝る前に携帯を充電する人が多いので、寝室に充電器を置いているケースは非常に多い。ベッドサイドテーブルの多くは木でできているので、木製の充電機であれば、すごく馴染むのではないかと。国内で使われる木材の70%が輸入材ですが、一方、国内の杉材は有り余っています。杉は柔らかく、用途が限られていましたが、杉を圧縮する技術を持っている会社と協力して、開発を進めました。間伐材を使うことも、日本の山の環境を守ることにつながるはずです。

 当社は、ギリシャ哲学の「真・善・美」=「学問・道徳・芸術の追求」をヒントとし、「テクノロジー・社会貢献・デザイン」をミッションとしたものづくりを志しています。この3つがそろった製品を社会に提供していくことが、世の中をよくしていくことに必ずつながると考えます。そして、その気持ちを忘れないよう「美(B)・真(si)・善(ze)」の頭文字を組み合わせ、社名をBsize(ビーサイズ)に決めました。ちなみに、一人家電メーカーは、スタートするための方法ではありましたが目的ではありません。また、大量生産を否定していませんし、ニッチを目指しているわけでもありません。今後も少人数でありながら高い効率で、事業を拡大していきたいですね。社内はもちろん、たくさんの外部の協力会社や、商品を購入いただくお客さまと、星座のように有機的に手を組みながら、全員に価値のある事業を成立させていきたいです。そして、当社の活動を通じてつながったすべての人にさらなる幸せを提供しながら、世の中の仕組みを素晴らしく変えるインフラをつくりたいと思っています。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
ハードウェア事業での起業はやりやすくなった。
しかし、忘れてはいけないポイントがある

 経営者になってまだ3年目の僕がアドバイスというのもおこがましいのですが……僕は独立・起業をまったく目標としていませんでした。それはあくまでも方法論でしかない。それよりも、「自分は何を実現したいのか?」、心と本音でしっかり相談して、それを明確にすることのほうが大切です また、ベンチャーは大手企業と比べると、ものすごく不都合が多い。給料が取れるかどうかもわかりませんし、僕も起業後はずっと、自分がやりたいことがやれているということ以外、いいことなんてひとつもなかった(笑)。もし大手でも同じようなものづくりができるなら、辞めることはなかったと思います。しかし、大手企業とベンチャーには役割の違いがありますから。やむなく、起業したわけです。本当にやりたいことが見つかったとして、それが部署の移動、もしくは転職することで実現できるなら、独立・起業する必要はないと思います。

 クリス・アンダーソン氏が自著『MAKERS 21世紀の産業革命が始まる』に書いているように、製造業への参入障壁は確かに劇的に下がりました。しかし、ハードウェア事業を立ち上げる際に、『MAKERS』で抜けている大切なポイントが大きく3つあります。それは、①品質保証 ②特許、意匠、商標などの知財管理 ③そのほか遵守すべき法規、です。つくりたいものをつくり、多くの人に届けたいなら、これらのポイントをしっかり押さえておかないと、大きなトラブルを招きかねない。今後、日経BP「Biz COLLEGE」で、連載「僕がたったひとりでメーカーをつくった理由」でくわしく解説していきますので、ご興味ある方はぜひご覧ください。いずれにせよ、メーカーでの起業を目指すなら、大手メーカーに入って経験を積むことが一番の近道だと思います。

 しかし、実際に一人家電メーカーは、先述したとおり、いいことは少ないですし(笑)、「本当にこれがやりたかったんだっけ?」と心が折れそうになる副次的な仕事も多い。それゆえ、このスタイルでの起業に挑戦したとしても、単なるビジネスと捉えて臨むと継続は容易ではないと思います。ちなみに僕の場合、人生をかけた挑戦ではありましたが、20代という早めのタイミングで独立したこともあり、失敗しても人生が終わらないやり方をしたつもりです。気持ち的には、数百万円貯めた資金で3年自費留学して、また会社に戻ってもいい――そんな感覚で独立しました。仮に事業が失敗したとしても、得難い学びがある。再び会社員に戻っても、辞める前よりもっといい仕事ができる。いってみればビーサイズでの挑戦は、僕自身への自己投資でもあるわけです。大手メーカーには若くて優秀な技術者がたくさんいます。国内や海外のメーカーに転職する他に、もうひとつ、自分でメーカーを創業するという第三のステージがあってもいいのではないでしょうか?

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:田部雅生

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