第127回 株式会社コロプラ 代表取締役GM 馬場功淳

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

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第127回
株式会社コロプラ
代表取締役GM

馬場功淳 Naruatsu Baba

1978年、兵庫県生まれ。都城工業高等専門学校ではラグビー部に所属。5年時に高専ラグビー大会で日本一の栄冠を手にする。卒業後は、九州工業大学工学部知能情報工学科へ編入。大学院博士課程時代に、ベンチャー企業のアルバイトとして「iアプリ」の開発にのめり込み、その後、社員に登用される。2003年、DDIポケット(現WILLCOM)のPHS端末、AIR-EDGE PHONE(エアーエッジフォン)の発売にヒントを得て、「コロニーな生活」を開発し、個人サイトとしてサービスを開始。2005年、「コロニーな生活☆PLUS」にバージョンアップ。携帯電話の位置情報登録を利用したシミュレーションゲーム「位置ゲー」を初めて立ち上げ、口コミで日本全国からファンを集める。自らゲームマスター(GM)としてサイトを運営しながら、ITベンチャー企業に勤務していたが、2008 年、ユーザー増加のため退社。同年10月、株式会社コロプラを設立。「コロプラ」の機能を高めながら、移動がより楽しくなり、地域コミュニティが発達する未来を目指している。モバイルプロジェクト・アワード2010モバイルコンテンツ部門最優秀賞。2010年度「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・ジャパン」チャレンジング・スピリット部門ファイナリスト。

ライフスタイル

好きな食べ物

みかんです。
小さな頃から、なぜか、みかんが大好き。1箱でも飽きずに食べ続けられると思います。ジュースを飲む時も、迷わずミカンジュースを選びます(笑)。あとは、これもかんきつ系なのですが、ポン酢(笑)。カニの水たきに、ポン酢。これが一番好きな食事でしょうか。ちなみに、お酒はいっさい飲めません。

趣味

仕事なんです。
オシャレとかグルメとか、あまり興味ないのです。まあ、何をしていても楽しめるのですが、やっぱり仕事につなげて考えてしまいます。アイデアってひたすら考えて、いったん忘れると、閃くものなのです。これは脳科学でも証明されつつありますね。なので、ひたすら考えた後、完全に忘れ去るために、旅行にでも行きたいなあ(笑)。

行ってみたい場所

冬山でしょうか。
スキーやスノーボードって、これまで一度もやったことがないんですよ。今、僕は33歳ですが、このへんのタイミングでチャレンジしておかないと、一生行けなくなる気がしています。なので、冬山でスキーかスノーボードをしてみたい。あとは、海釣りかなあ。波を見ているだけでも、心地よくなれますから。

お勧めの本

『まぐれ 投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』(ダイヤモンド社)
著者 ナシーム・ニコラス・タレブ

文字量も多いし、内容も難解ですが、世の本質を教えてくれる良書。人はどうして、投資で儲かると自分の実力だと思い込み、損をすると運が悪かったと思うのか? タレブ氏のトレーダーとしての20年以上にわたる経験と、数学、行動経済学、脳科学、古典文学、哲学等への深い知識と鋭い洞察をもとに、金融市場や日常生活において偶然や運が果たしている隠れた役割と、人間の思考と感情との知られざる関係を鮮やかに描き出す素晴らしい読み物だと思います。同じくタレブ氏の『ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質』もお勧めですよ。

アンカー

世界でも類をみない位置情報専門のベンチャー企業。
同社の「コロニーな生活☆PLUS」が社会現象に!

 株式会社コロプラ――。世界に類を見ない、「位置ゲー」(コロプラの登録商標) という概念を、広く世の中に浸透させた位置情報ゲームのパイオニアである。常に人が持ち歩く携帯と位置情報を使い、リアルとバーチャルの世界をエンターテインメントで軽やかにつなぎながら、新たなマーケットを開拓し続けている。同社の代表を務める、馬場功淳氏が、会社員時代(2003年)に開発した「コロニーな生活」(後の「コロニーな生活☆PLUS」)は、昨年(2010年)大ブレイク! 上期「日経ヒット商品番付」東前頭筆頭に選ばれるなど、飛躍的に会員数増に成功した。「多くの人にとって通勤時間は苦痛ですよね。『コロプラ』では、通勤距離が長い人ほど儲かる仕組みになっていますので、遠距離通勤者ほど報われる。日常の移動が楽しくなることが、大きな魅力だと思います」。今回はそんな馬場氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<馬場功淳をつくったルーツ1>
ファミコン世代の常でゲームにはまる。
中学では電子工作部でプログラミング

 出身は兵庫県の伊丹市です。ご存じのとおり伊丹は大阪のベッドタウンと呼ばれる街で、伊丹空港がありますね。家の近くを大きな旅客機が飛んでいく風景を今でも覚えています。兄弟は弟がひとり。3つ下ですから、彼は今頃30歳になっているんでしょうね(笑)。勉強ですか? 小学生の頃の成績はとても悪かったです。算数の文章問題だけは好きだったし、得意でしたが、それ以外の記憶力を問われるような勉強はまったくダメ。覚えたことをただ答えることに、興味が持てなかったのです。今でもそうですが字もすごく下手でしたから、勉強では同級生と全く勝負になりませんでした。

 実は小学生の頃、検査で心臓に疾患があることが発覚しまして、激しい運動を控えていたのです。大学時代に手術をして、今では問題なくなりましたけど。友だちとも普通に遊んでいましたが、僕はファミコン世代の生まれでしょう。ご多分にもれず、テレビゲームにはかなりはまりました。ゲームづくりにはコンピュータなるものが必要だということは、おぼろげながらわかっていまして、将来はコンピュータでゲームを開発するゲームクリエイターになりたいと思っていました。話は変わりますが、小学校を卒業する頃、宮崎県・都城市に家族で転居することになりました。父が勤めていた会社は、「転勤は人を成長させる」というおかしなポリシーがありまして、何度も転勤を繰り返していたみたいです。

 入学した中学の校内をうろうろしていたら、理科室にパソコンが置いてあったんですよ。聞けば、電子工作部に入れば、自由にそのパソコンを触っていいとのこと。コンピュータにはとても興味があったので、即、電子工作部への入部を決めました。どんな活動をしていたか? 当時発行されていた雑誌、『マイコンBASICマガジン』に、コードを入力すればゲームがつくれるという付録のような記事があったんですね。放課後部員が理科室に集まって、それを見ながら、みんなでプログラミングをするという感じ。使っていたパソコンのモニターは黒と緑。今だったら博物館入りするような、かなり古いパソコンでしたね(笑)。部員は10名くらいでしたけど、最後は部長を務めていました。

<馬場功淳をつくったルーツ2>
転居を嫌い、寮のある高等専門学校へ進学。
ラグビー部では日本一の栄冠を手にする

  中学でも成績はかなり下のほう。でも、あることがきっかけとなって、その後成績が上がっていくんです。パソコンがほしいと両親に相談したら、「成績が真ん中より上になれば買ってあげる」と。今とは違って、当時のパソコンは30万円以上もするとても高価な代物でした。両親も、さすがにこの条件はクリアできないと踏んだのだと思います。でも、僕はパソコンほしさに、本当に死ぬ気になって勉強したわけです。そうしたら、真ん中どころか、全体のトップ3分の1くらいにランクイン。パソコンを手に入れたことはもちろんですが、どうすれば成績が上がるか、そのノウハウを知ったことも大きかったですね。何でもそうだと思うのですが、一定期間、ひとつのことにがむしゃら集中して結果を残す経験って大切だと思います。

 父は転勤族でしょう。でも、高校の転校って大変です。なので、寮のある高校へ行くことを決め、都城工業高等専門学校を受験、合格しました。「高専ロボコン」に挑戦したいとも思っていましたので。そして、高専では運動部に入ろうと決めていました。最初は弓道部もいいかなと。ゲームじゃないですけど、的を狙うのが好きでしたから(笑)。ちなみにその頃から、僕の身長は180センチくらいあったんですね。それもあって、寮にいると夜な夜なラグビー部の先輩が、僕の体格を見て「入部しろ」と勧誘してくる。高専のラグビー界では全国トップレベルの強豪でしたし、校内運動部でのヒエラルキーも最上位。そんな部での経験は、きっと得難いものになると考え入部を決めました。その結果、放課後も休日も部活漬けでしたね。

  ポジションはロックです。3年生からはレギュラーとなり、5年間ずっとラグビーを継続。そして、5年生の最後の大会では、日本一の栄冠を手にすることもできました。卒業後はメーカーに就職するか少しだけ迷いましたが、九州工業大学の知能情報工学科の3年に編入しています。理由は、口頭試問だけでOKだったから(笑)。もちろんいろんな専門知識を問われましたが、無事クリア。研究室に入って、レベルの高い仲間たちと行う研究は、とても有意義なものでした。内容は、今でいうデジカメのフォーカス機能や、モーション認識などの精度を追究するコンピュータビジョン。いってみれば、ロボットの目をつくる研究分野ですね。死ぬほどのめり込みましたよ。本当に楽しかったです。学部を卒業した後は、情報工学部の学生が院に進むのは既定路線でしたので、僕も大学院に進んでいます。

<博士課程時代>
学費をまかなうためにベンチャー企業へ。
開発仕事に没頭し、バイトから正社員に

 大学院の2年間も研究に没頭し、博士課程に進みたいと思うようになりました。でも、さすがに24歳になって親からの仕送りを頼るのはみっともない。博士課程に進む権利は得ていましたが、定期収入がないと無理だなあと考えていたタイミングで、友人がKlab(KLab株式会社)というベンチャー企業が展開していた「大学前ケータイラボ」の所長になったんです。そして、「おまえも来ないか?」と。ひたすら「iアプリ」をつくる仕事をすれば、定額の給料を得られると言います。これは渡りに船と、その話に乗って、僕は博士課程に籍を置きながら、まさに、ひたすら「iアプリ」の開発に明け暮れる生活を始めました。

 まずは東京のKlab本社で、ウィークリーマンションに住みながら1カ月の研修です。研修とは名ばかりで、「これをつくりなさい」とオーダーされたのが、大手新聞社がリリースを計画していた携帯用ニューズブラウザ。1週間で仕上げたブラウザの出来が良く、すぐに「これでいこう!」という話に。しかも、「馬場君が新聞社に説明に行くように」と。名刺だけ持たされて、ずらりと並んだ新聞社のお歴々にプレゼンしに伺いました。しかも、当日同行するはずだった社員が急きょ来られなくなり、僕と同じような立場の学生スタッフと背広も着ずにふたりで(笑)。10人くらいのクライアントの前で、必死で説明しましたよ。名刺の渡し方すらわからなかったのですが、何とかこなせたのが自分でも不思議でした。Klabもよく任せてくれたし、新聞社もよく許してくれたなあと(笑)。

 研修期間を終えた後は福岡に帰り、「大学前ケータイラボ」の仕事を続けました。開発仕事がとても面白く、どんどん大学に行かなくなり、1年後に休学、その翌年には大学を辞めています。25歳で、バイトから社員になって、博多駅前に支店を開設。僕は所長として事務所を契約し、スタッフの採用を行いながら、最終的には15人くらいのスタッフをマネジメント。給料をもらう雇われの身ではありましたが、この時の事務所開設やスタッフマネジメント経験は、経営者となった今でも非常に役立っていると思っています。その後、僕は本社の開発部長に抜擢され、給料もアップして、いわゆる出世コースに乗っかります。携帯のメール高速配信エンジン「アクセルメール」、「EAN-128」と呼ばれる微細なバーコードを携帯カメラで認知する「バーコード認識エンジン」などのツールを開発するなど、携帯電話業界で話題の仕事を任される幸運にも恵まれました。

<「コロプラ」の誕生>
会社員を続けながら“位置ゲー”を開発し、
二足のわらじで運用を継続し続ける日々

 その間の2003年5月、会社員を続けながら、今の「コロニーな生活☆PLUS(以下コロプラ)」の原型を開発しています。当時はまだ、携帯電話の通信速度は遅く、パケット定額もない時代。携帯ゲームは徐々に出始めていましたが、パソコンや家庭用ゲーム機のゲームを移設したようなものがほとんど。「携帯電話ならではのゲームを開発しなくては意味がない」と自問自答する中で、ひとつの答えにたどり着くのです。DDIポケット(現WILLCOM)から、AIR-EDGE PHONE(エアーエッジフォン)というPHS電話が発表されたことも大きなきっかけになりました。この電話は基地局ベースの位置情報を取得できる初めての端末で、かつ業界初のパケ放題。ならば、常に持ち歩く携帯電話で、パケット代を気にせずに位置情報を使ったブラウザでゲームをつくろうと。そうやって個人で「位置ゲー」を開発し、自宅のサーバーで運用し始めたのが、「コロプラ」の歴史の始まりです。

 それからは、会社で働き、夜帰宅したら「コロプラ」のサポートやメンテナンスなどの運用を朝まで続ける日々をずっと続けることになります。平均睡眠時間3時間程度でしたね。あまりにしんどくて、やめようかと思ったことは何度もありましたが、徐々にユーザーが増えていったので、始めた以上、やめることはできなくなったのです。そして、Klabの仕事続けるうちに、BtoBではなく、BtoCの仕事をしたいと思うようになりました。2005年前後は、ブログやSNSを用いて、自ら起業する同世代の起業家が多数登場していました。そんな彼らの姿を見聞きし、自分も同じように輝きたいと思ったのです。そして、当時、飛ぶ鳥を落とすIT企業と、同業で後塵を拝しつつあったIT企業の2社から内定を得た僕は、後者への入社を選択します。理由は、現状よりもその会社の未来を選んだから。

 同社の戦略を聞いた時、「1年半できっと追い抜くことができる」と確信したんです。でも、周囲の誰に聞いても、「その選択は間違っている」と揶揄されました。そういえば、採用してくれた幹部からも、「最短でも3年はかかるんじゃないかな」と言われましたね(笑)。いずれにせよ、29歳で初めての転職をした当時の僕は、「自分の力で会社のポジションを上げてやる」くらいの気持ちだったんです。まあ、天狗だったと。でも、その会社に自分よりも若くて優秀なエンジニアがいたことに驚きました。まあ、それは願ったりの環境なわけですから、そんな優秀な仲間たちと、新しいモバイル系コンテンツをどんどん開発、リリースしていくことになるのです。その結果、自分の予想より早いタイミングで、先を行っていたライバル企業の業績を追い越すことができました。もちろんそうやって会社での仕事をこなしつつ、相変わらず自宅で「コロプラ」の運用は続けていました。

●次週、「人を動かす“位置ゲー”が社会現象に! コロプラの快進撃は続く!」の後編へ続く→

携帯と位置情報とエンターテインメントを融合。
「コロプラ」が目指す、“位置ゲー”のテーマパーク

<起業!>
マンションの1室でひとり「コロプラ」を運用。
徹夜続きで限界を感じ、採用のために会社設立

  どんどん、会社での業務と、「コロプラ」の運用の両立がつらくなってきました。毎日、倒れるか、最悪の場合死ぬんじゃないかと思っていたくらい。結果、会社を取るか、「コロプラ」を取るか、どうしても二者択一の選択をせざるを得なくなったのです。自分で育ててきた「コロプラ」のユーザーはどんどん増えていましたし、おぼろげな成功イメージもできつつあった。また、僕は手に職を持つエンジニアですから、もしもの場合はまた仕事に復帰して活躍できる自信と皮算用もありました。そして、決断。2008年4月に会社を退職して、個人事業主として「コロプラ」の運用をスタート。そうやって、24時間、「コロプラ」に没頭する生活が幕を開けたのです。

 話が少しそれますが、高専の2年生の夏休み、アルバイトをしました。思い返せば、あれがお金を稼ぐために働いた、初めての経験でした。祖父母が住む伊丹の実家に泊まって、神戸のポートアイランドにあったテーマパークの売店での仕事です。ある日の夕方、大勢のカップルでにぎわう観覧車の回転が速くなることに気づきました。テーマパークは時間によってカスタマイズされながら運営されている。そのことを自分で発見した時は、新鮮な喜びを感じました。また、教えるのが好きな売店のおじさんがいて、「いつもと違うと感じた時には必ず原因がある」と教えられたことも覚えています。「コロプラ」もひとつのテーマパークだと考えれば、ユーザーの居心地の良さを考えつつ効率を高め、常にいつもとの違いを観察しながら改良を積み重ねていく。そんな気持ちで、僕はずっと「コロプラ」を育てているように思います。

  ただ、24時間「コロプラ」に没頭する日々は、すぐにとん挫してしまいました。ひとりだけでは、仕事量的にも時間的にも、24時間では終わらなくなったのです。まったく休めないですし、3晩の徹夜もざら。マンションの1室で、誰とも話さない時間が72時間も続くと、誰だって気が変になってきます。これは危険だと考え、人を採用することにしました(笑)。そして、個人事業では誰も来たがらないだろうと、2008年の10月、株式会社コロプラを設立。いよいよ本格的な起業というよりも、人が集まる単なる箱をつくったという感覚でした。最初は知り合いにメールや電話で声をかけながら、2009年1月に2人が入社し、その3カ月後には、恵比寿に引っ越し。それからの2年間、人が増えるたびに増床し、現在のオフィスが恵比寿でもう3カ所目の事務所となります。

<リアル×バーチャル>
開始2カ月で1000人を超える来店効果も!
コロカ提携店プロジェクトはまだまだ続く

  「コロプラ」は、ケータイの位置情報を利用したコミュニケーションゲームです。“コロニー”と呼ばれる自分の街を発展させるためには、「コロプラ」内の仮想通貨“プラ”を使って、貯水池や木、農場などを拡大し、住民を増やしていく必要があります。これらの施設を建設するための資金である“プラ”の入手に、ユーザーの移動というリアルが結びついているのです。ちなみに、ユーザーが実際に1km移動すると、1プラが獲得できます。たとえば、多くの人にとって通勤時間は苦痛ですね。「コロプラ」では、通勤距離が長い人ほど儲かる仕組みになっていますので、遠距離通勤者ほど報われる。日常の移動が楽しくなることが、大きな魅力だと思います。 携帯と、位置情報と、エンターテインメント。これらを結びつけた“位置ゲー”を提供して、人々の生活をより楽しくする。それが「コロプラ」の目指す方向性といえるでしょう。

 実際に使っているユーザーですが、30代を中心とし、40代、20代のサラリーマンも多いですね。「コロプラ」を楽しむポイントは大きくふたつあります。それは、移動距離がインセンティブになることと、もうひとつは、新しい場所に行くとインセンティブがあるということです。実際に移動して遊びに行くための目的地を全国に200カ所つくるプロジェクトも進めています。そしてその200カ所は、我々が独自に選定した日本の素晴らしいお店。「わざわざ旅費をかけて行く、価値のある、日本の良いもの」という社内基準で選定会議を行い、みんなで試食したり、現地調査をしたり。だいたい月に5社くらいが選定され、時間をかけて丁寧に進めていますね。そして、その店で一定額の買い物をすると「コロカ」というカードがもらえます。カード裏面のシリアル番号を「コロプラ」で入力すると、ゲーム内で限定のデジタルお土産を購入できる権利を付与。これが、コロカ提携店プロジェクトです。

 現在、全国に89カ所の提携店があって、これを200カ所までじっくり広げていく計画です。ちなみに、最初に提携いただいた、栃木県日光市の老舗煎餅店「石田屋」さんでは、開始2カ月で1000人を超える来店効果がありました。もちろん、ほかの提携店舗さんからもうれしい報告が届いていますよ。今、導入店舗への来店・購買客数は月間2万2000人を超えています。また、「コロ旅」という企画もスタートしました。これは、レアなお土産をゲットしながら、リアルな観光も楽しもうというパックツアーで、旅行会社との提携で実現しました。九州の観光地を巡る1泊2日のツアーをコロプラ内で募集したところ、あっという間に定員が満員に。そのほかにも、東京メトロとタイアップした「コロプラ☆専用一日乗車券」の販売を実施し、これも5万枚以上の販売実績を上げています。リアルとバーチャルの融合を、もっともっと楽しめる新しいエンターテインメントを追求し、地方そして日本を元気にしていきたいですね。

<未来へ~コロプラが目指すもの>
外部企業との提携、海外市場への挑戦など、
企業価値向上のためにすべきことが山ほどある

  「コロプラ」は、2011年1月現在、登録ユーザー数165万人を超え、月間ページビューは20億オーバーと、今も留まることなく成長を続けています。AIR-EDGE PHONEの後は、まずau携帯に対応し、ドコモそしてSoftBank、iPhoneやアンドロイド端末でも利用可能になりました。そういった意味で考えると、「コロプラ」は、各端末の進化に合わせながら広がってきたサービスといえますね。そして、スマートフォンへの対応に続き、位置登録はできませんが、パソコンからの操作もできるようになりました。位置登録は移動しながら手軽な携帯やスマートフォンで行い、海外出張の際等のコロニーの管理はパソコンでという使い方もできるようになったというわけです。

 また、これまでの実績が評価され、昨年KDDIさんと業務提携を締結。日本初の“位置ゲー”プラットフォーム「au one コロプラ+」をオープンしました。外部企業からアプリを募り、位置情報と連動したサービスを集約させるという計画です。そして、提携した15社の企業からもユニークで良質なエンターテインメント系のアプリを募って、「コロプラ」をより多くのユーザーが参加できる「位置ゲーのテーマパーク」にしていきたいと考えています。収益に関してですが、これまでユーザーからの「投げ銭」(寄付)と、コロカ提携店の売り上げに応じたレベニューシェアで、「コロプラ」の運営費をまかなってきました。が、今後は多くのパートナーとの協業から生まれる、新たな収益源が生まれるわけです。この取り組みによって、「コロプラ」ユーザーの皆さんに、さらなる満足を提供できると確信しています。

 位置×エンターテインメントのサービスは、何もゲームに限ったものではありません。「コロプラ」に、ツイッターなどのコミュニケーションツールを導入したことも、ユーザビリティ向上への取り組みです。自分たちでできること、外部のリソースを取り込むことでできること。「コロプラ」の価値を高めることを考えれば考えるほど、できることって死ぬほど出てくるんですよ(笑)。それらを、どうやって選択し、実装していくか。そこが重要です。ちなみに、認知度調査を行った「コロプラ」の認知率はまだ5%ほど。今の目標はできるだけ早く、ユーザーを1000万人に持っていくこと、そして、認知率を限りなく100%に近付けることでしょうか。まだ具体化はしていないですが、海外への進出も挑戦する予定です。まだ「コロプラ」未経験の方は、まずは登録して遊んでみてくださいね。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
弛まず前進する狂気と、正確に舵を切るセンス。
このふたつが起業継続に必要な要素だと思います

  僕は会社をつくって、まだ2年目の若輩起業家ですから、アドバイスなんて本当はできないのですが……。でも、多少の経験者として、端的に言います。起業はやめておいたほうがいい。いいことなんてほとんどないんです(笑)。睡眠時間が取れない、遊びに行けない、性格が悪くなる、自己責任のリスクは盛りだくさん。それらは実体験として理解した、本当のことですからね。まあ、どれだけ多くの人から強く「やめとけ」と言われても、やる人はやるのが起業。ある種、そんな狂気の部分を持ってないと、やってはいけない働き方だと思うのです。また、起業した場合の成功確率を聞かれても答えはわかりません。10年とか20年、継続されている先輩起業家のような重みがまだ自分にはありませんから(笑)。ちなみにこの世界、知らないことがあると罪。みんながみんな騙そうとしているとは思いませんが、ビジネスはより良い条件の獲得を目指すものでしょう。そのためには知識で武装しなくてはいけません。

 僕は、もともとエンジニアですから、コードは書けても、経営の知識はほぼゼロのまま走り始めました。それをカバーするために、たくさんの本を読み漁りました。ビジネス書、哲学書、小説など、少しでも気になったり、ネットのレビューで高く評価されている本は片っ端から。特定の分野の本は1冊だけではなく、複数買って読むほうがいい。1冊では内容が偏ってしまうので危険です。会社を設立する前から、数カ月で100冊以上は読み続けたと思います。読めば読むほど、いろんな共通点が頭に入ってきて、会社経営を進めながら、各種の問題に対応していきました。そうやって得た知識を実践していくことが、真の力に変っていく。もちろん、今でも読書の習慣は変わらず継続しています。本は低コストで、リスクを軽減してくれる、経営者にとって素晴らしいツール。特に、経営者の失敗系の本は、できるだけ多く読んでおくことをお勧めします。

 起業の前提はゴーイングコンサーン、継続にあります。そして僕は、経営継続のために必要な要素がふたつあると考えています。車にたとえますが、ひとつはエンジン。そのエンジンが、先ほどもお話した、絶対に成し遂げるという起業家の狂気。直線で馬力を出すには、どうしてもこれが重要となります。そして、さまざまな問題やリスクをスラロームしていくためのハンドル。これは独自のセンスです。わき目も振らず前進する狂気と、正確に舵を切るセンス。過去に成功されている先輩起業家を見ても、みなさんこのふたつを兼ね備えていらっしゃると思います。特にセンスが重要なのですが、残念ながらゼロの人もいます。ゼロを1にするのは無理、でも、磨き続ければ1を100にすることはできる。こればっかりは、実際に経営者になってみないとわかりませんが、自分はゼロだと気付いたら、すぐに撤退すべきだと思います。働き方はほかにもたくさんあるわけですから。それだけ厳しい世界だということは、肝に銘じておくべきです。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)

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